『ガンダムSEED』

 旧来ファンの反発の理由が反発したのは、福田監督の『ガンダム』に対する全般的な理解の薄さが作品からにじみ出ていたのを嗅ぎ取ったからではないか。その最たるものが、『語ろうシャア!』におけるシャア=アスラン発言に見られた「赤いモビルスーツに載せて赤い服を着ているんだから、ファーストのファンならシャアとわかるはず」というくだり。実際には「赤けりゃ(or仮面をつけてれば)シャアかよ」というのが多くのファーストファンの認識。
 こういった「ファーストの咀嚼」が足りないにも関わらず「21世紀のファースト」を名乗り、咀嚼の足りないままファーストの展開をなぞるようなシチュエーションを繰り広げたことや、意図的な旧作ファンに対する挑発的コメント「『ガンダムX』は一話だけ見て辞めた」「10代のファンのために作っているんだから、旧来のファンはとっとと結婚でもして子供を作れ」)」をネットやアニメ雑誌で頻繁に繰り返したことで、旧来ファンの神経を逆撫でしたのではないか。似たような事例としては、旧作へのリスペクトが全くないことを監督が公言して作られた『RED SHADOW』があるように思う。

  作品的な部分ではなく「売り上げ」のみで「だからSEEDは素晴らしい」と事あるごとにアピールするのも反発の一因。作家として「ガンダムSEED」の魅力をアピールする言葉に欠けている。レコード会社とのタイアップを露骨に感じさせる、頻繁なOP/ED曲の交代なども作り手の作品への愛着が薄いと感じさせる一因になったのではないか。

 ある程度リアルタイムで見ていないとわからないこういった受け手の感想を
「監督が語りすぎるのはガンダムの伝統」「富野に比べればたいしたことない」と福田発言にネガティブな反応を投げかける『ガンダム』ファンに疑問を投げかけているが、福田発言が「たいしたことない」からこそ、富野と比べて何とも薄いのである(もしくは今までのガンダムの監督と比べても)。さらに作品論よりも商業的マーケティングで『SEED』語ることが多いのも薄さを引き立てる一因だろう。内容面まで考慮せずに安易に富野と同列で語るのは疑問。シャア専用ポータルの訪問者から出た『福田の罪』とは、ガンダムを商業主義に染め抜いたことなのではないか?

「ファーストガンダムの時と同じような騒ぎ」
 昔の場合は「アニメ全般VS『ガンダム』」という図式だったと思うのだが、今回は『ガンダム』というジャンル内での騒ぎなので、捉え方はまた違うのではないだろうか。

「いまさら女の子が(美少年キャラ)騒いだだけで『ガンダム』ファンがごちゃごちゃ言うのかよくわからないんすけど」
 この氷川氏の分析も的外れのように思う(男性ファンとて女性キャラに(;´Д`)ハァハァしてるわけだから)。岡田・唐沢両氏よりは『SEED』を見ていたであろう氷川氏が、こういう見方をしていたのには少なからずショックを覚えた。
「『08小隊』の時にさほど論争にもならなかったことが『SEED』がでてきていきなり大盛り上がり」
 ガンダムを「アムロを中心とするストーリー」と捉える岡田氏ならばそう思うかも知れないが、「一年戦争の世界」という点をちゃんと押さえていた『08小隊』は、旧来のファンにとっても何の問題もなく『ガンダム』として受け入れられていた。それを踏まえず『SEED』と同列に置くのはいかがなものか。

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