司会 富野さんの入場です。じゃ、富野さん。 会場トミノコール 司会 本日は宜しくお願いします。 富野 別に叩く(聞き取れない)(会場笑い) 成り行きで(聞き取れない) 本当に有り難うございます。 この年になりましてもこういう所に呼んで頂いて本当に有り難いと思っています。 本当にそう思ってるんですよ。 最近ちょっと同期生みたいな集まりがありまして。 今年64になるわけです。64の人ってこんなに年寄りなんだ、って絶望しました。 絶望すると共に、僕は今こういう若い方にお会いできる立場に居るっていうのは 本当に死んでいくにしても目出度く死んでいける様な実感を手に入れているっていう。 この三年っていう時間を過ごさせて貰ってますので本当に感謝してます。ありがとうございます。 会場拍手 司会 この中で、今64歳と仰いましたけど、自分の親が64より若いという方いらっしゃいますか? 嘘でしょー! 自分の親の方が富野さんよりエネルギッシュで若いと思われる方手を挙げてくださいますか? 勝ってるんですよ。 富野 勝ち負けの問題じゃなくて。もし勝ち負けだとすれば本当に自分の身に頑張ってきた部分もありますけど 何よりも頑張るにあたっての手応え、確信っていうのを皆さんの様に顔を見せていただけるから そういうのも思えるわけです。つまり絵空事だけで思っていたら中々そう思えません。 だから本当にお世辞ではなくてこういう形で何もこの距離って凄く嫌な距離なんです。(会場笑い) 一番後ろまで全部顔が分かっちゃうから。 本当にこういう場所でお会いさせていただくことで、それが自分自身「ああ、もう暫く頑張ってもいいのかもしれない」 という風に思わせてくれる。そういう意味でありがとうと思います。 司会 ということで富野さんを慕う愚民、と言っては申し訳ないみたいですけど…。 富野 この人嫌いなの。(会場笑い) 熱いから。 司会 離れますよ。発熱するんですからしょうがないじゃないですか。 お座り下さい。 (聞き取れない)僕が困るんですよ。 富野 何云ってるの。司会者が偉そうになさるのに、僕は無位無冠ですから。 司会 無冠の帝王じゃないですか。 ? 帝王の前で僕は何をしたらいいのかってのがあるので。 司会 では時間も限られているので、皆さんから頂いた相談の中から幾つか選ばせていただきます。 まず、1番目。 PN.二児の父さんという方から。30歳の男性ですね。 「私は0歳と1歳の二児の父親です。監督の作品では父と子が一つのテーマとなっていると思うのですが、 監督として父から子へのメッセージ、親として子供に何を伝えたら良いかを教えてください。 また、親子でガンダムを観る事をどう思われますか」 という質問です。 富野 一番最後の質問から云えば、自分自身が「海のトリトン」という作品の総監督をさせてもらって、 総監督というのはどういうことかというと、物語のストーリーのテーマ、を最終的に確定できる立場にいるわけです。 で、その立場を得たときから本当に考えたことがあったのは、親子二代三代関係なく観られる様なものを作っていく。 自分を作るという事です。当然、当時そういうことができるなんていう確信はありませんでした。 無かったからこそ、どういう風にしたらそういうものを作れる自分になれるか、という事を意識して今日までやってきたつもりです。 ですから、親子二代で観られて当たり前だし、観れる様なものを作る、という結果を今、現在どういう風に評価されているかっていう事の方がとても気になるわけですから。 全く気にしていない、つまり問題外、という風に考えています。 「親が子に伝えるべき事」という事に関しては むしろこの年に成りまして、深刻に考えている部分もあります。 一番深刻に考えざるを得ない部分は、観念的な問題ではなくて、自分自身が2人娘がいるんですけど、子育てを間違ったらしい。(会場笑い) 娘2人なんですが、とっくに30超えてるんですよ。未だに変な男と引っ付いて結婚もしないで。 何よりも孫も連れてきてくれなくて。何なんだ、っていう意味では子育てに失敗した、という風に思ってます。 これは娘の前で云うと娘がもっとグレるわけですから、云わない努力をしてるんですが、ついつい云ってしまうわけです。 愚痴で。そうすると娘の方からフンって云われて、より強硬な姿勢を取られます。 僕はきっと死ぬまで孫の顔を見ないで死んでいくんだな、寂しいなっていう風に思ってて。 これは辛いぞっていう事を本当にこの数年実感するからです。 「親が子に伝えられる事」あるわきゃ無いと。(会場笑い) だいたい親は子に伝えることは間違えるんです。余程出来の良い人で無い限り。 僕程度のレベルだとなんにも伝えられなかったという結果を突きつけられているわけだから。 僕には何にもお伝えすることは出来ません。ほんと、ごめんなさい。 ただその上で、っていうこれはちょっとだけ生意気そうに云うんだけど。 基本的に考えてはいますし、言葉の上ではどういう事なのかっていう事だけは 逆に今こういう風に皆さん方の前でお話しているのと同じ様で、ある時意見としては、ていう風に考えてはいます。 その上で云える一番究極的な事は、結局自分の親として一生懸命やってるよ、という姿を見せるしかない。 それ以外の方法論はない。それ以上伝える事は無い。という風に思えました。 あともう一つあるのは、力ずくで教えても、力ずくで教えた事、それから習慣的に、要するに親が子供にマインドコントロールしちゃって教えたものでも、 どこまでそれで彼女彼らが真っ当に大人になってくれるかっていう事については、それは正直わかりません。 全てそれはそれぞれの子達の能力、それぞれの子達のセンス、それぞれの子達の生き様から判定されることで子供達がその人生を送っていくわけですから。 基本的に親たる者、子供達が自立できるまで、ただひたすら見守るしかないし、その間エサを与える立場が親であって、それ以上の立場ではないという風に思います。 ただ、その場合エサを与えるにあたっても、じゃあ親が遊んでそのエサを持ってくることが出来たのか、学校の給食費を払えるようになったのか、 という事に関しては、そんな簡単じゃないんだぞ、っていう日常的な苦悩と云わないまでも、つまりこういう風にしてお父さんとお母さんは頑張ってるんだよ、 っていう言葉遣いと、それから何よりも姿だと思います。お父さんお母さんが一生懸命毎日を暮らして居るんだよっていうことを 見せていく事しか親が子に伝えられるものはないと思います。 で、それ以上のことについて云いますと、全部が今流に皆さん方が理解できる言葉遣いでしかお話しする事が出来ませんし、 そういうことで話されることに僕は意味があるのかについて考えました。 あまり意味がないと思います。 どうしてかと云いますと、今の流行の今みんなが流通している考え方っていうものが一番理解されるようだからです。 実際の子育て、それから親と子が代を重ねていく事は今の考え方でないわけです。 人類1万年なのか3万年なのか5万年なのかもしれませんが、その時間の中で我々が習得してきた方法論があるわけです。 一番原理原則になってるところを見せていくと「お前達が大きくなるまではお父さんお母さんが居て頑張ってきたんだよ」 っていう事を見せてるだけだったのではないかという気がしています。 ですから基本はそれ以上の言葉遣い、それ以上の事を考える必要はないと思います。 もう少しだけ賢くなってくれ、もう少しだけセンスの良い子になってくれ、それをやったらお前はそれは酷いだろ、ていう云い方は全部 今の我々の価値論の言葉でしかなくて、それはもう皆さん方のお子、つまり代の変わった子にとっての意味性を持っているのか、かなり怪しいです。 だから僕はさっきうちの娘が孫を連れてきてくれないのは気に入らないとか寂しいっていうそれは僕の立場の意見なんですよ。 娘にとっては関係無いんです。今の二人の娘がグレたとは云うけれども、人に迷惑を掛けるような暮らし方を送っているのか、とか、 それから刑務所に行くような事やってるのかと云えば、そういうことはやってないわけです。 だったらそれで十分ではないのかという風に思えるという、むしろこの年になって一つだけ思えるのは そういう寛容さを持って見つめてあげる事の方が大事なような気がします。 なったときに云えるのは結局親は子供の前では我慢して見せるしかなくて、ああせい、こうせいと云うのは かなり大きなお世話かもしれないっていう ただ、そうは云いながら一つだけ親が子供に対して示すべきものはあると思います。 「しかし世間はお前が思ってるような人々だけでなくて、こういう人もいるんだぞ、本当は頑張ればこういうものがあるんだぞ」 どういうことかと云いますと目指すべきもの示すっていう事はしてあげていいのではないのかなっていう気もします。 今我々の現代の暮らしはかなり危うい暮らしであるために、中々我々自身も目指すべきものを持ち得ていないわけです。 ですから、その持ち得ていないものを、まして自分の子供に嘘八百で云えるわけがないっていう云い方も当然あります。 あるからこそです。云ってしまえば、だけど世間にはこういう偉い人がいるんだぞ、お前にだってこういう風になれるんじゃないの。 世間にはそれこそスポーツの世界のことでいいわけです。ああいう選手が居るんだぞ、でもいいんです。 そういうものを、お前も目指してみたらどうなんだろう、もしお前が目指すべものがあるんだったらお父さんに教えてくれ、岡江さんに教えてくれと云って良いと思うんです。 それについては手伝ってあげるぞ、っていうのが親が出来る最大の事であって、それ以上のことはやっぱりしていけない様な気がします。 そして、ある道に進み始めたときに、親が暗黙にサポーターになって応援団になってやって。 それこそキャディーやったりするのかもしれないですけど、なんかそういう形である時落ち込んでしまう子供の姿に対して応援をしてあげると云うことが 親が出来る最大の事ではないのかなっていう気がしています。 で、ここまでの事が一応原理原則の部分に入るのではないのかと思います。 それ以後の過保護に関しては全部我々の好みのことです。それを子供に押しつけていくのは如何なことかという風に思います。 司会 ありがとうございました。 私の憧れの大人の富野さんに…富野さんの様になりたいと 次、次ですか。分かりました。 次22歳の女性、 私は最近生活に現実味を持てず、仕事をしていても、友人と出かけていても夢現な感覚の事ばかりです。 自分が何故ここにいるのか、この手が誰のものなのかと感じてしまうこともあります。 熱中することを見つければそんな事は無くなると云われますが、現在は趣味の音楽を聴いていても集中することが出来ません。 どうすればこんな状態から抜け出せることが出来るでしょうか。 富野