[06/06/10-14:11]
Posted by サム@◆Nya90YkEqE
  

選手たちの泣ける逸話@野球殿堂



なんでも昨日から何か大きなスポーツの大会が始まったらしいですね。
僕は世間に背を向けて生きてるんでよく知りません。
実はスポーツ自体もあんまり興味ないですし。
でもこういう伝説の話なんかは好きなんです。



7 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:28:34 ID:ZH6U2XUC
ロベルトクレメンテ・・・首位打者4回、ゴールデングラブ賞12回の名選手
1972年のシーズン最終試合で3000本安打を達成、
そのオフにニカラグアで発生した大地震を救援する物資を私費で購入し、
自ら飛行機で運んで現地に行こうとしたがその飛行機が海上で墜落してそのまま亡くなった。
本来ならばどんな名選手でも引退後5年が過ぎなければMLBの殿堂には入れないが
彼だけは亡くなった翌年に殿堂入り。
野球選手である前に立派な人間であることが最大限に考慮されたのだと思う。


8 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:29:15 ID:ZH6U2XUC
俺、野球選手のエピソードでTVで見て涙したのは。
隻腕投手アボットが、インタビュー嫌いで有名だったんだが
両腕の無い彼のファンが駆け寄り、
自分が野球選手にどうやったらなれるかといろいろ質問した時、
ゲーム後にも関わらず長い時間
その子とコミニケーションを取っていたのを見た時だ。
諦めない気持ちや、プロになる厳しさ、
決してその子を障害者として扱った意見はなかった、
それどころか常人の数倍の努力が必要であるとか、
自分は片手がないので左右バランスの隔たりの克服の為にどうしたとか、静かに熱く語っていた。
両腕のない子は、実際器具を使用してコントロールの良い球をほおっていたし、すごい努力をしていた。


10 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:31:19 ID:ZH6U2XUC
400勝投手・金田正一のいい話。

ロッテの第一期監督時代のこと。
現役時代から親しくしてる知人の頼みである病院に慰問へ訪れた金田。
「病院はワシ苦手やねん。辛気くさいやろ?」とイマイチ乗り気ではなかった。

病院についてある小児病棟に通された。
そこには12人ほどの子供達がいた。
みんな憧れのプロ野球の監督が来るということで昨日から楽しみにしてたそうで、
みんな笑顔で金やんのこと出迎えた。
それを見て金やん「なんや…病気いうてもたいしたことないんやな」と気軽に考えてた。

慰問が終って病院を去り際に小児病棟担当の看護婦から挨拶された時、
看護婦は金やんにこう言った。
「みんな白血病や小児ガンという不治の病を抱えてるんです…。
でもみんな希望を持って明るく生きてます。
本日は金田さんおこし願えてみんな感激してますよ」と……。

それを聞いた金田はそのまま床にへたり込んで人目も憚らず号泣したそうだ。
「ワシはこの年になって初めて命の尊さを教えてもらった…」

それ以後金田は不治の病で苦しむ子供達のためのボランティア活動に
邁進するようになり、それは名球会の活動の一環としても行われている。


11 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:33:03 ID:ZH6U2XUC
斉藤和巳が背番号を66のまま変えない理由

エースに成長した背番号「66」の後ろ姿を天国から見守っている人がいる。
00年2月に亡くなった斉藤の妻・由美さんの祖父、松尾勇さん(享年80歳)だ。
葬儀の際に、勇さんに着せてあげたのが背番号「66」のユニホーム。
斉藤は、今もそのことを忘れていない。
「これで背番号を変えたら、きっとじいちゃんも分からないでしょうから」
その年のオフ、プロ5年目の初勝利でブレークした斉藤は、背番号の変更を球団から打診された。
それでも、勇さんへの思いもあってかたくなに断ったという。
「お盆には報告に行こうかなと思ってるんです」と由美夫人。
球宴に出場した投手の中で「66」は最も大きい番号。
今、斉藤の背番号は文字通りのエースの代名詞となった。


12 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:34:42 ID:ZH6U2XUC
「野球は言葉のスポーツ」(伊東一雄・馬立勝)より
ナショナル・リーグができてまだ10年位しか経っておらず、
プロ野球だけで生計を立てるのは難しい時代の話。
フィラデルフィア・フィリーズのファーストを守っていたシド・ファーラーは
可愛い娘をたびたび球場に連れて来ていた。娘は綺麗な声をしていたため、
たちまちチームのマスコットキャラとなった。
ある日試合が終わった後、娘が泣きながら1人で立っていた。
シドのチームメイトが「どうしたの?」と聞くと「パパがいないの。」と答えた。
チームメイトがシドを探すと、シドは外野のスタンドで空き缶をずっと拾っていた。
「娘が綺麗な声なので音楽学校に進学させてやりたいんだが、金が無くてね。
 こうして毎日空き缶を拾っているんだ。」
当時は野球だけで生計を立てるのは難しかった。
そこでシドは空き缶を拾うバイトで必死に金を稼いでいたのだ。
これを見たチームメイトはシドの心意気に感動し、
次の日からチーム全員で空き缶拾いをはじめたという。
娘は音楽学校に無事に進学でき、数年後有名なオペラ歌手、
ジェラルディン・ファーラーとして故郷に戻ってきた。
ちなみにジェラルディンはロマノフ王朝最後の皇帝ニコライの想われ人だったという説もある。

このスレを読むまで、スケールの大きさと親父の強さという点において1番感動した話です。
でもカネさんの話を読んで感動しました。カネさんの話を知る事ができて
このスレを読んだ価値があるといえます。勿論他の話にも感動しました。


14 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:36:27 ID:ZH6U2XUC
鉄人衣笠が若手だった頃の話し

バッティングが荒くてどうしようもなかった若い頃の衣笠。
当時打撃コーチだった関根潤三氏は単身赴任で
広島若手選手の合宿所に泊り込んでおり
衣笠には毎晩数百回の素振りを課し
関根コーチ自身も深夜までその素振りを指導していた。

毎夜のマンツーマン指導の成果が出て
衣笠はなんとかレギュラーに定着しかかっていた。

ある日の市民球場での試合後、『今夜ぐらいはいいだろ』と
衣笠は酒を飲みに出かけた。
久し振りの外出で、つい時も忘れて飲み続け
したたかに酔っ払って合宿所に戻った時にはとっくに門限が過ぎていた。

衣笠が合宿所の玄関からそっと上がろうとしていると
浴衣姿の関根コーチがスーッと現れた。
『しまった。ドヤされる。』と衣笠は思ったが
関根コーチはただ
『遅かったなサチオ、さぁ、今夜もバットを振ろうや』と
あの何とも言えない優しげな表情で衣笠にバットを差し出す。

真夜中の合宿所の玄関先で
いつものとおり、ふたりきりでの素振り練習が始まった。
衣笠は酔いの中でバットを振りはじめたが
意外にも関根コーチは門限や飲酒のことには一切ふれず
ただ淡々といつも通りの指導をするだけ。

衣笠の心には余計にこたえた。
『関根コーチとの素振りの約束を勝手に破ってしまった』
『少し打てるくらいになって、いい気になっていた』
『レギュラー出場をアタリマエと思い込み始めて油断していた』
弱い自分の情け無さ、関根コーチへの申し訳無さと有り難さで
衣笠はワンワン泣きながらバットを振り続けた。


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酒に負けて練習をサボってしまった衣笠選手が、
後に不滅の連続出場記録を作るんですから面白いですよね。
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16 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:39:08 ID:ZH6U2XUC
ブレービー→ネッピーの中の人、島野修の話も泣ける。

ブレービーには、かつて巨人のドラフト1位選手だった島野修氏が入っていた。
かつてドラ1選手だった島野氏にとって、最初はブレービーの演技は苦痛だったという。
そんな中で、居酒屋で隣に座った野球観戦帰りの親子連れの会話が耳に入った
「ブレービー面白かったね。また球場に行こうね」
島野氏はこの子供の言葉に迷いが吹っ切たという。


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職業に貴賎なしってやつですよね。
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18 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:40:53 ID:ZH6U2XUC
ジャッキー・ロビンソンの話。

 黒人初の大リーガーとして登場した彼は、
 敵チームどころか味方チームからもいわれなき差別を受けていたが、
 不平不満を言わずにプレイに専念する姿に、味方チーム、そして
 敵チームからも同じプレイヤーとして認められていった。

 そんなある日、彼は審判の判定に抗議して退場を喰らってしまった。
 だが彼は、
「あの審判、俺の肌の色について一言も言わずに退場にしやがった。」
 と、黒人として差別されずにただの野球選手として退場処分を受けたことを喜んだということだ。


19 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:41:23 ID:ZH6U2XUC
ジャッキー・ロビンソン自身も素晴らしい選手だが、
彼を口説き落としたブランチ・リッキーの口説き文句も素晴らしい。
ジャッキー「あなたは、白人に侮辱されたときに戦うのを躊躇うような黒人を探しているのですか?」
リッキー「いや、私が探しているのは、白人に侮辱されても戦うのを我慢できるガッツを持っている黒人選手だ。」

また、カージナルスのオーナーが「黒人のいるチームと試合をしない。ストをする」と言ったとき、
ナ・リーグ会長のフリックが、
「ストをしたいなら勝手にすれば良い、お前らのやっていることはアメリカに対する挑戦だ。」と気骨を見せた。
ジャッキー、おまえは決して孤独じゃなかったんだ。


20 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:42:22 ID:ZH6U2XUC
ヤンキース初の黒人選手、エルンスト・ハワードが、
ミッキー・マントルについて語ったこと。

入ったばかりで、周囲の視線にオドオドしていた頃、
シャワーを浴びていたらマントルが来て、ヒョイとハワードの「前」を覗き込んで、
エースのホワイティ・フォードに声をかけた。
「ホワイティ、来てみろよ。俺たちと変わらないぜ!」

↑上品ではないが、けっこう好きな話。

マントルは、レストランで入店を拒否されたハワードがバスで待ってると、
サンドイッチだかなんだかを買ってきて、一緒に食べてくれたとも。


そのマントルが癌に侵されて、一度は退院した時の記者会見。

「ヨギ(ベラ)のやつに『せっかく用意した喪服が無駄になったじゃないか』って言われちゃったよ」

男の友情って言葉が思い浮かんだ。


23 :神様仏様名無し様:2005/11/06(日) 16:48:11 ID:ZH6U2XUC
石山一秀。
近鉄に捕手として入団し、14年で215試合に出場したことになっている。
しかし大半は偵察要員での出場。生涯打席数はたったの77。
ほぼブルペン捕手と変わらない選手生活を送った。

83年10月21日の阪急戦(藤井寺)。近鉄は129試合目の消化試合だった。
14-17の3点ビハインドで迎えた9回裏2死。
「もうこれで終わりだ」と思った石山は、ブルペンから道具を担いでベンチへ戻り帰り支度を始めた。
すると関口監督が言った。
「石山!代打だ!」
突然の指名だった。
「絶対打てよ!ヒットを打ってこいよ!絶対だぞ!」
岡本打撃コーチは何度も念を押すように叫んだ。
慌てた石山は急いで練習用のバットを振って打席へ向かった。
阪急の投手・森の初球は内角ド高めのクソボール。
無我夢中でバットをブン回すと、打球はそのままスタンドへ飛び込んでいった。
なんと、これが石山の14年目・33歳にしてプロ初本塁打。
ゆっくりダイヤモンドをかみ締めるように一周していると、
阪急ベンチが全員総立ちで拍手をしている。敵なのに。
生還しベンチへ帰るとチームメイト全員が万歳で出迎えた。
「もう嬉しいやら恥ずかしいやらで涙が出そうでしたw」(本人・談)

しかしそのオフ戦力外通告。
ろくに試合に出させてもらえなかったものの、ブルペンで何万球と球を受けてきた石山に、
わざわざ監督がささやかな引退試合を用意してくれたのだと、石山は思った。
その後、創生期時代の韓国プロ野球に移籍。そこではたくさんの本塁打を放った。
そして今年、近鉄消滅までブルペン捕手・コーチとして携わった。

生涯打撃成績:72打数16安打・1本8点 .222


37 :神様仏様名無し様:2005/11/22(火) 16:08:25 ID:iuf4+2s0
で、その阪急黄金時代を福本や加藤とともに支えたエース・山田久志。
社会人時代は速球に自信を持っていたけど、プロでは速い球だけじゃ通用しない。
同じサブマリンの足立光宏の投げてたシンカーを、自分も習得したいと思った。
だけど、そこはプロのこと、教えてくださいと言って教えてもらえるものではなく、盗むしかない。
キャンプに入ると山田はブルペンで投げる足立のうしろに立って握りを盗もうとした。

ところが足立も気づいていて、山田がうしろにいるとシンカーを投げないか、投げ込み自体をやめてしまう。
同じ球を投げる同じタイプの投手はチームに2人は要らない。となれば残るのは若い方だろう。
足立にとっても、シンカーを盗まれることは死活問題だった。

それでも山田は、なんとか握りだけは盗んで、それからは自分で試行錯誤を続けた。
だけどなかなか思うように沈んでくれない。試合で使えるレベルには遠かった。
そんな時、足立がすれ違いざまに「肘から先に送るようにして投げるんや」とつぶやいた。

「自分で工夫して、なんとか分かりかけてきた時だったから、あの言葉はありがたかった。
 もし、最初からシンカーを教えてもらっていたら、僕はものにできていなかっただろう」


42 :神様仏様名無し様:2005/11/27(日) 04:16:34 ID:lhd1Rnpm
D時代の星野監督と中村捕手。
かけだしの頃の中村は常に星野にドヤされ続けていた。鉄拳制裁はもちろん、時には、
「おまえなど辞めてしまえ!!」
のキツい一言。
本当に辞めようかと思い悩んでいるところに母親から一本の電話が。
「おまえ最近頑張ってるそうじゃないか。こないだ監督さんから連絡があってね。
見所のあるいい選手だからお母さんは安心して見ていて下さいと言ってくれたよ。」
その後、中村は10年近くに渡って中日不動の正捕手としと活躍した。


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さすがに名監督と言われる人は上手いです。
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50 :神様仏様名無し様:2005/12/08(木) 18:19:00 ID:VeEgVdor
東京ドームが完成した時にGの選手たちのコメントが載っていた。
雨で中止がないのでコンディションが保ちやすいとか、
気温が一定で疲れが少ないとかほとんどの選手が歓迎するコメントを言っていた中
ひとり中畑清は、「空が見えないところで野球をするのは寂しい。」 と語っていた。


69 :神様仏様名無し様:2005/12/17(土) 16:15:13 ID:cRHImT6E
ソフトバンク王監督が早実エースだった時代の国体に国籍の問題で出場出来なかった
(実際は差別的待遇を受けた)。
しかし、開会式入場行進の時にチームメートが王選手の周りを囲って、
絶対につまみ出されないように行進し、
本来なら入場を許されない筈なのに、
チームメートの友情によりグラウンドに立つ事のみ出来た。


112 :神様仏様名無し様:2006/01/07(土) 03:33:23 ID:HJcMxNZ1
それで思い出したけど、村田兆治が原因不明の右肘の痛みで何年も苦しんでいた時に、
村田の父親が危篤に陥ってしまった。
村田が急いで父親の元へ駆けつけると、それまで昏睡状態だった父親が目を覚まし、
「兆治、わしの右腕をやる。だから頑張れ」
と、苦しい息の中で村田に言ったという。
村田は父親のその気持ちが嬉しくて涙が止まらなかったそうな。
父親は他界したが、その気持ちが通じたのか、村田は名医ジョーブ博士の手術により
右肘の痛みを完治する事が出来、見事に復活を遂げた。


249 :神様仏様名無し様:2006/02/17(金) 13:42:55 ID:zB7vPvQx
泣けるというわけではないけど好きな話。

1930年代にヤンキースのエースだったレフティ・ゴメス(ゴーメッツ)が、
「打たれないためにはどうしたらいいんでしょう?」と聞かれて答えた。

「マウンドに上がらなけりゃいいのさ」

史上最高の選手と評する人もあるホーナス・ワグナーとの対戦を控えて、
若い投手が監督に「ワグナーを押えるにはどうすればいいでしょう?」と聞いた。

「いいか若いの、投げたらすぐさま神に祈れ」

野球の試合は投手で70%が決まるとも言われるけれど、
その投手たちは、言ってみれば「打たれるために」マウンドに上がっている。
打たれたいとは思ってないけれど、打たれることを避けることもできない。
そして、投手だけで勝つことは絶対にできない。
投手にできる最高の仕事は「0点に押える」という現状維持でしかない。
そうすれば負けることも絶対にないけれど、投手1人では勝てない。
でも、投手が最も重要であることも間違いのない事実。
野球って面白いなあ、と思う。


255 :神様仏様名無し様:2006/02/18(土) 01:29:21 ID:VEhp/Da2
別所さんの、「沢村(栄治)さんの様な速球を投げるためには?」
という質問に対して

沢村「走るんや。別所君。」

泣けもしないし、ありがちな返答だが
戦前の大投手の重みのある答えだと思った。


277 :神様仏様名無し様:2006/03/05(日) 09:16:44 ID:00KOngBM
阪急松永選手の話

松永のロッカーにはホームラン等で獲得した商品がたくさん並んでた。
新人のパンチ佐藤がその中から電化製品を見つけ、
「先輩、そんなにたくさんあるのなら一つ下さいよ」と申し出た。
松永は渋々了解し、その商品をパンチに譲った。
商品は譲ってもらったものの、
(もっと気前良くくれればいいのになぁ。ケチな人だ・・・)とパンチは感じ、その事を他の先輩に話した。
すると先輩から「そりゃお前が悪い」と注意された。

先輩の話によると、松永は毎年シーズン後、
その年に獲得した商品をまとめて孤児院や福祉施設に寄付していたそうな。


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松永選手からは良い話なんですけど、
パンチ選手はただ先輩にタカってるだけですよね。
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324 :神様仏様名無し様:2006/03/09(木) 16:05:18 ID:cfIk5uQl
イチローが高校からプロに入って自分はプロとしてやっていけるんだろうか、
不安にならなかったかと当時のことをインタビューで聞かれた。

そのイチローに
「先輩のパンチ佐藤さんのプレーを見てたら自分でもやっていけると思った」といわれたパンチ佐藤に泣けた。


389 :神様仏様名無し様:2006/05/19(金) 23:00:30 ID:Cp0NLRva
去年のオフにヒルマン・新庄・小笠原が中学生(不治の病)の見舞いに行ったのも
ありがちなんだが、きた
えらい野球にくわしい子で、病室は野球関係の本でいっぱい

「あのね、このピッチャーはねコントロール悪いから初球は見ないとダメなの」
と選手の写真を指差して話す少年

やたら難しい顔してうなずく小笠原
「ふえーそうなんだ?」と(多分素で)感心する新庄
ヒルマン「素晴らしい。これからもハムの007として調査・報告してくれ。頼んだぞ」
生きる希望・目的を与えられるって素晴らしいことだと思ったよ。


391 :神様仏様名無し様:2006/05/20(土) 18:19:00 ID:9W15weY3
>>389
ヒルマンが、スコアブックを渡して
「君を特別スコアラーに任命する。気がついた弱点を記録して、また報告して欲しい」

これって、”また来るよ”って意味なんだと理解したんだけど
日本人にはあまりない、ユニークな言い方だなぁと思った。


393 :神様仏様名無し様:2006/05/21(日) 06:38:26 ID:cq13S1hC
そのあとの談話

「いや〜勉強になりました。野球って奥が深いね」
少しもイヤミにならないのが新庄の新庄たる所以である。
「あの子に夢を与えられるように・・・・全力でプレーします」
言葉を搾り出す小笠原。赤い目が万感の思いを語る。
そしてヒルマン
「今日は日本ハムにとって有意義な日。将来の名スカウトを発見した」


全ての逸話が真実かは分かりません。
でも、大事なのは事実かどうかじゃないと思うんです。
その話を聞いて、勇気付けられ、心の支えにいる人がいる。
それで十分なんですよね、きっと。
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