[08/07/18-19:52]
ありがとうって言いそびれたヤツいる?
おたく@2ch掲示板より。
23 :おたく、名無しさん?:2006/04/07(金) 19:30:44
ありがとうって言いそびれたやつ
俺の昔飼ってた猫
みーこ
近くの公園で遊んでるときに雨が降ってきた
雨宿りをするために木の下に駆け込んだ
すると子猫の鳴き声、ふと見ると小さい子猫がダンボール箱にくしゃくしゃにされたティッシュと一緒に入っていた
お前は俺を見上げるとみゃーみゃーと細い声で鳴いた
今までペットを飼ったことがなかった俺はすぐ家につれて帰ってお母さんに頼んだ
お母さんはやさしく笑って買って良いよ。といってくれた
それからお前の名前を考えていてみゃーみゃー鳴くからみーこという名前をつけた
俺とお前は毎日遊んだよな・・・
寝室で一緒に布団にねっころがって昼寝したり
押入れに隠れて遊んだり
その辺の野良猫とけんかしてるのを俺が助けてやったり・・・
毎日一緒に笑って毎日一緒に遊んで、時にはケンカもした
本当だよ・・・?お前は俺のひざに噛み付いて引っかいたね
すごく痛かった・・・
その傷跡、今でもしっかり残ってるよ・・・
でもなつかしい
お前とあえて本当によかった・・・
24 :おたく、名無しさん?:2006/04/07(金) 19:32:38
それから何年かして沖縄に引っ越した
お前はなれない土地でビクビクしていた
それでも俺が学校から帰ると玄関の前にねっころがってみゃーみゃーと鳴いていた
それから俺は友達と遊んだりゲームをしたりでなかなかお前をかまってやらなかった
ごめんな・・・今はすごく後悔してるよ・・・
もっと遊んでやればよかった、もっと一緒にいてやればよかった
みーこはあるひ家の前で車に轢かれた
車は俺の相棒を親友を兄弟を家族を一番大切な人を轢いておきながら
知らないフリをしてどっかへいってしまった
おれはお前を助けてやれなかった、本当にごめんな・・・
本当にごめん・・・
親友だったのにね、一緒にいられなくて本当にごめん
お前は最後の力を振り絞って大きな声でみゃーみゃー!と鳴いた
そしてそのまま冷たくなった・・・
あの時は大泣きして声も出なくて言い忘れてた
だから今言うね・・・
本当にありがとう
もしも俺がそっちにいったら
ずっと、ずっと一緒に遊ぼうね・・・
みーこ・・・
29 :おたく、名無しさん?:2006/05/04(木) 18:10:44
ありがとうって言いそびれた奴・・・中学時代の仲間達。
ちょうど俺が中学二年の頃、一人で給食を食っていたとき、
一緒に食おうと言ってくれたのがあいつらだった。
俗に言うDQNって奴だが、本当にいい奴らだった。
一緒に遊んだり、相談相手になってくれたり、
とりとめのない会話をしたり・・・
俺が副会長になるため、選挙活動したときも、
あいつらは一生懸命に協力してくれた。
そして、俺は倍近くの差で副会長に就任した。
「だって俺達、親友だろ?」今でも心に響いてる。
今は別々の高校だが、
修学旅行の時に一緒に撮ったプリクラは
今でも机の引き出しの中に大事にしまっている。
33 :翔 ◆sJQ3SyCI2A :2006/06/01(木) 19:07:19
ありがとうって言いそびれたヤツ・・・・・とても良くしてくれた先輩方
優しくしてくれてアリガトウ
いつも傍にいてくれてアリガトウ
一緒に笑ってくれてアリガトウ
慰めてくれてアリガトウ
こんな俺に優しくしてくれてアリガトウ
他にもイロイロ言いたいけど
あと一言だけ言いたい
別れの挨拶を言えなくて
ごめんね
67 :おたく、名無しさん?:2006/11/03(金) 22:41:20
父さんにありがとう
肺癌であと一週間もたないと言われた時に母さんが父親に
「子供3人の中で誰が一番可愛い?」と聞いた
「お兄ちゃん?」
「う〜ん」
「お姉ちゃん?」
「う〜ん」
「弟?」
「う〜ん」
「…全員?」
「…うん…」
父さんごめん
ありがとう
79 :さやか:2006/11/26(日) 01:16:58
「ありがとう」をどうしても伝えたいのでこの場をお借りします。
大好きなばあちゃん。
あなたが死んでもう二年がたちます。たくさん心配させるだけさせて、
肝心な言葉は伝えたことがなかったね。
「ありがとう」ちゃんと届いてる?
「ありがとう」お願いだから届けてください。
「ありがとう」素直に言えなかった
「ありがとう」本当は大好きだったんだ。。。
夢の話、したかった。私の夢、きっとあなたは笑うだろうな。
詩を書くことを仕事にしたい。
「そんな才能ないでしょ」ってさ・・・
書くとしたらあなたの事もかきたいと思った。
あなたが死んでしまった後、実感湧かないまま、書いたのがこれ・・・
80 :さやか:2006/11/26(日) 01:20:37
知らなかった
知りたくなかった
人は本当に死んじゃうって事を
ニュースなんかでやっているのは
きっとどこか遠くのお話で
身近には無いことと勝手に決めつけてしまっていた。
届けたい・・・
もう届くことのないこの想い
これからもずっと
私の中で残っていくんだろうな・・・
止まることのない涙と共に・・・
「うるさい!」って電話を切った私、
ずっと胸がズキズキしてた。
素直に話す事を恥ずかしいと思ってた
いつもフザけて話てたね
でも・・・
それでもあなたが居てくれた事に感謝してた。
神様は居るのかなって思えた。
82 :さやか:2006/11/26(日) 01:26:14
さよならの日、それはすぐにやってきた。
苦しめた病名・・・それはガンだった。
乳ガンからリンパ腺に転移したガンで、
もう体はボロボロだった。
どんどん弱っていくだけの姿を見ているのは本当に辛かった。
抗ガン剤の副作用で抜け落ちた髪を
寂しそうに見つめる表情
帽子を取り、私に向かって見せる
照れたような笑い顔が
頭から離れないでいる・・・
あなたがこの世を去って二年が経つ・・・
結局私が最後に言った言葉は「うるさい」だったね。
今でもはっきり覚えてる。
もう消せない・・・
戻らないこの言葉を
私はどう思い出にしていったらいいのだろう
」
ばあちゃん、帰ってきてくれない?
もう、どうにもできないの?
いっぱい、いっぱい
「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わせてほしいよ。
恥ずかしいのなんて言い訳でしかなかった。
言葉って、伝えることって、本当に大切なことなんだね。
あなたが居てくれたから気付けたんだよ。
ありがとう。
本当にありがとう。
あなたの孫として傍に居れて本当によかった。
ありがとうね。。。
85 :おたく、名無しさん?:2006/11/26(日) 03:53:08
家族に「ありがとう」って感謝ができません。
ごめんなさい。
でも、みんなが嫌いなわけではないんです。とっても好きです。
ごめんなさい。
こういう所じゃないと言えないなんて情けないね、自分。
87 :餓鬼名無しさん:2006/11/27(月) 17:39:24
4日前父さんが死にました
父さんの誕生日の2日前に死んだ
ここのスレ見て「ありがとう」を言う勇気が出て
誕生日に言ってやろうとしたけど
死んじゃいました
なんか涙がでないです
色々今までの思い出が頭のなか走っています
些細なことがとても懐かしいです
父さんの事はウッセー氏ねとか言ってたけど
大好きでした
ありがとう父さん また会えたらいいね
102 :父さんへ:2006/12/09(土) 10:34:55
突然、心臓麻痺で倒れて、そのまま父は逝った。
旅行先だった。父さんが一番楽しみにしてた。
毎月でも行きたかったけど、家が貧乏だから。
毎年だけど夏に海へ行ってたんだ。
一日目の海ではしゃいでた父がまだ残ってるよ。
子供みたいにはしゃいでから寝てたアンタを見るのが、毎年の楽しみだったよ。
一日目の夜に、明日は○○海岸行こうって、ホント子供みてーだなぁとか言ってからかってた。
そんで次の朝なかなか起きない父を見てオレは泣きそうになった。
父が冷たかった。
昨日あんなにはしゃいでたのにな。はしゃぎすぎたんじゃねーの?
それでも俺は泣かなかった。家族の前で泣くやつは男じゃないとか勝手に造ってて。
妹も母も泣きじゃくってた。見てるのが辛かった。
それでもオレは、ばかみてー意地張ってに泣かなかった。
103 :父さんへ:2006/12/09(土) 10:37:33
数日後に、母さんが俺と妹に真剣な顔で言ってきた。
父さんは元々、心臓が弱かったらしい。
医者とかにも、海は行くなって言われてたらしいけど
なんで海に行くのをおkしてくれたのか、後になって母さんにだけ教えてくれたらしい。
母さんはまた泣きながら俺たちに話してくれた。
父さんはもう自分が長くはないって分かってたらしい。
だから、最後に家族で沢山思い出を作ってやりたいんだ って
子供たちに、いい親父だった。って言わせてやるんだ って
母さんが泣いて、妹も泣き始めた。
オレももう、泣かずにはいられなかった。
はじめて家族の前で泣いた。どんな時も泣かなかったのにはじめて泣いた。
馬鹿な親父だな。もう一年生きてたら最高の親父だったよ。
でもオレには馬鹿な父親じゃないとダメだった。
アンタが馬鹿でよかったよ。最高なんていらないんだよ。
ありがとう父さん。いつかオレがそっちに行っても、ずっと馬鹿な親父でいてよ。
106 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:31:26
2年前の2月、私の支えとなっていた人「あおい」が死んだ
年齢も、本当の名前も、どこに住んでいるのかも知らない人だったけれど
私と共に、今を精一杯生きてくれた
3年くらい前、某歌手の小説掲示板であおいは小説を投稿していた
私はその小説に興味を持ち、読み始めた
そして知ったのは、命の大切さをテーマにしていること、彼女が
余命半年の肺がんだという事だった
年齢は知らなかったけれど、確か高校生だった気がする
私はその時、たったの中学1年生で「死にたい」と願っていた頃だった
そこには、あおいと同じように余命を告げられたもの
死にたいと願っているもの、悩みを抱えているものが集まった
皆は自分の悩みを相談しては、答えを、勇気を貰っていた
私も、今どうしたらいいのだろうと、あおいに声をかけた
私には生まれつきの病気があり、判明したのは小学5年生だった…
半年に1度検査を受け、数年に1度大きな検査を繰り返し受けていた
直接的に死に繋がる病気ではなかったけれど、苦痛だった
中学校に上がり、病気は私のコンプレックスになっていった
その事から私は内気な子になってしまい、それをいい事にいじめを受けた
毎日、毎日、それは耐えなかった
時間が経てば経つほど「死にたい」と願うようになり、手首を切っている
という事を
すべてを打ち明けた後、あおいは何よりも優しい言葉をかけてくれた
今まで生きていた中で、1番心に響いた言葉だった
107 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:33:51
数ヶ月間、私とあおいの会話はつづいていた
病気のせいで体が痛くても、涙を流す日があっても必ず
あおいは返事をくれた
それから1つ目の約束を交わした
「なら、約束しようや?お互いどんなに辛くても、苦しくても
ピンチになった時はぜったいに飛んでいくって
あんたがいじめられたら、あたしがそいつらを殴ってやる
手首切りたくなったら、あたしの手首を切ればいい
泣いても泣いても涙がとならない時は、一緒に泣いてやる
やからな?ぜったいに、死ぬなんて言わん約束してや?
あたしもあんたのために生きるからな?」
あおいは本当にいつでも私を助けてくれた
私は死ぬ事を考えなくなっていった
だけど私はそんなことから、大切な事を忘れていた
あおいが余命半年だという事を
1つ目の約束を交わし数ヶ月が経った頃
私は毎日が充実していて、あおいへ書き込みをすることもなくなっていた
108 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:41:01
そんな数ヶ月が経ったある日、久しぶりに話をしようと
掲示板へいった
そこで思いもしなかった真実を知った
あおいが亡くなっていた
それは私の13歳の誕生日の3日後・・・2月4日
あおいは友人に言葉を残して、友人は私達にそれを伝えに来ていた
「なぁ死ぬなんていわんといてな?あたしは精一杯生きたで。
あたしは今頃空におるんやろな・・・
辛い時は空を見上げるって約束してな?
どんな時でも空を見上げれば、優しい気持ちになれる
死ぬなんて、ほんまにもういわんといてほしい
ずっとあたしはみとるから、辛い時は空を見上げて」
あたしはそれから空を見上げるようになった
空にはいろいろな色があるんだね
色々なくもの形もあるんだね
本当に優しい気持ちになった
でも今となっては沢山の後悔をしています
109 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:45:48
あおいはいつも元気で、弱音なんてひとつも吐かずに
私の話を聞いてくれていた
本当にいつも元気だった
だから、あおいがいつか死んでしまうことを忘れていた
これはいいことなのか悪いことなのかも分からない
もっとあおいと話したかった
あたしはあおいに助けて貰うばかりで
あおいに何もしてあげられなかった
何ができたんだろうって
悔やんでばかりだった
何度嘆いても、もうあおいに伝わることは無いのに
あおい、あたしは今幸せです
病気が完治することはないけれど、いい方向へ向かっています
苛めも今のところは、ないです
本当に毎日が充実していて
とても幸せです
大切な友達が居て
大好きな家族が居て
とても幸せです
あおいは今幸せですか??
110 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:48:47
あたしはこれからも、ずっとあおいを忘れません
忘れることなどできるはずがありません
私は来年、高校生になります
今を精一杯生きています
死にたいなんて、もう思いません
むしろもっといっぱいいっぱい生きたいです
ちょっとくさいけど、あおいのぶんも
もっともっといきたいです
あおい
本当にいつもありがとう
本当にありがとうございました
あの時恥ずかしくていえなかった言葉を
今、数え切れないくらい伝えたいです
ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう
ありがとう、ありがとう、ありがろう、ありがとう
118 :おたく、名無しさん?:2006/12/12(火) 21:22:23
母さんに感謝したい。
小さいときから俺はずっと甘えていた、
それを小言をいいながら許してくれて実行してくれた、
でも母さんはしんでしまった。最後の日は修学旅行の当日だったな
車で学校まで送っていってもらって母さんが
「迎えは4時に行くからね、それじゃがんばってね」といって帰っていった
そしてホテル先についたとたん、連絡が入った、
母さんがいきなり心臓発作をおこして病院に運ばれたと。
俺はすぐさま病院に向かった、すると、そこには、俺が小さいときに優しく接したり、
貧乏だから毎日毎日きつい仕事から帰って俺たちの面倒を見た
疲れ果てたような母の息をしていない姿があった。
そして俺は、ふと思い出したそれは修学旅行で食べる1日目の弁当だ、もちろん母さんの手作り弁当
それを号泣しながら食べた、それはどんな高級な食べ物よりめちゃくちゃ美味しかった
それは、親がいつも優しく育てたり、時には怒ったり、喧嘩したり、働いて帰ってきたり・・・
そんな母さんの優しさの味がした。
ご飯の上に乗っかっているふりかけ・・・・そうだなぁそういえば修学旅行の前夜に
一緒に作ったっけ・・・俺が分量間違えて怒られたなぁ
そんな愛情たっぷりの弁当を食べた
そしてその日の夜俺はある夢を見た
それは俺が母さんに甘えてお菓子をおねだりしている夢だ、これは最近でもしていることだけど
目が覚めるとそこには現実、隣の部屋をのぞくと誰も居ない、いつもは母が寝ているのに。
それをみると俺は号泣した・・・これがいちばん悲しかったんだなぁ
お母さん・・・今は天国で見守ってるのかなぁ、どんな思いで天に昇っていったんだろうなぁ
今はそれが一番知りたい。 親孝行はなんにもしてあげられない。
前夜に「金をかせいで親孝行する」と決意したばっかりだったのに
母さんはもういない、でも俺は思った。
一番の親孝行とは「俺が一生懸命母ちゃんの分まで生きる」ということじゃないのかと
そして生きて死んだときにはまた母さんと会える・・・
それを信じてこれから精一杯いきて将来大物になって父さんを喜ばせたい
これが今の想いです
みんなは親が居る内に親孝行をしてね。親が死んだ時にはきっとあなたの親は喜ぶはず。
128 :疾風丸:2006/12/30(土) 00:33:39
おはつです。
俺は中1の糞餓鬼です。
俺はよく母さんに怒られます。
今日(昨日?)は、弟がすごい怒鳴られていました。
俺はそういう母さんが大嫌いです。
声に出して抵抗するのは出来ませんが、心の中でウザいとかウルセェーとかいろんなことを思っています。
父さんにも、たまにおもいっきりビンタされるときがあります。
でも、そのとき母さんは俺をかばってくれます。
俺はかばってもらってからまだ一回もお礼をいったことがありません。
なので、この場を借りて親にいろいろお礼をさせて下さい。
お母さん。
いつも旨いご飯作ってくれてありがとう。
俺はお母さんの作ってくれるご飯も、お母さんも大好きだよ。
俺がお父さんに怒られてるときかばってくれてありがとう。
いつもお父さんに怒られて泣いているのは、殴られていたいからじゃなくて、
お母さんがかばってくれるのがうれしくて泣いているんだよ。
お父さん。
一緒に遊んだりしてくれてありがとう。
お父さんと一緒にいる時間は凄く少ないけど、休みの日とか遊べてすごくうれしいよ。
ありがとう。
いつか直接言いたいな。
129 :弘美:2007/01/07(日) 03:29:04
始めまして、弘美って言います。いまゎ中B受験生です。
弘美もありがとうってゆうのわお母さんとかお父さんに面と向かって言ったことがありません。
ただ、お母さん、お父さんが弘美にくれる愛情とかが嬉しくて、ありがとうって思っているだけで、なかなか恥ずかしくて言えない。
今もお母さんわ仕事で疲れてるのに、弘美の願書の内容を一緒に、一生懸命考えてくれてる。
でもやっぱ眠いみたいで弘美の隣で寝てる。
やっぱり疲れてるよね、弘美のためにいつも、ご飯とか、いろいろ。
本当にありがとう。
本当わ言葉に出して言わなきゃいけないってわかってる。
でもやっぱり照れくさくて言えない。
まだ言えないです。
ありがとう
この言葉って、言ってるよぉで、じつわ一番言わなきゃいけない人達に言っていんだ…。
だから、ちゃんと小さな声でもありがとうって言っていこうっておもう。
それで、弘美がもっと大人になったら
ちゃんと大きな声でありがとうを言いたい。
今ゎまだ言えないから、この場を借りて言います。
お母さん、お父さん知ちゃん、愛ちゃん、聡
家族皆、弘美わ大好きです。
いっぱい、いっぱい、ありがとう。
130 :おたく、名無しさん?:2007/01/09(火) 03:08:03
2ちゃんの皆には感謝してます
いつも馬鹿言って笑わせてくれてありがとう
寂しい時励ましてくれてありがとう
死にたい時生きろと言ってくれてありがとう
本当に数えきれない人に助けられました
本当に言えなかったけどありがとう。
132 :おたく、名無しさん?:2007/01/10(水) 02:06:12
私「はい!なんでしょうか?」
4年の先輩「こんどから○○は2年生と同じだから!」
私「はい?」
先輩「練習めちゃ頑張ってるし、2年生を追い越すぐらい頑張りな!」
私「……」
先輩「今度から2年生ってキャプテンに呼ばれたら○○もくるんだよ。
2年生も1年もおんなじもんだよ。たった1年生まれるのが早いか遅いかだろ?」
私「……はい」
先輩「○○?」
私「はい!」
先輩「○○の代が一人なのは、うちら4年と3年が、もちろん2年生も勧誘頑張らなかったからだと思うのね……ゴメンね」
私「……そんなこと……。」
先輩「だから全員が同学年だと思って何でも相談してね!」
きっと先輩たちが前日に集まったのは 私に寂しい思いをさせないようにこうしよう!ああしろ!
と話し合ってくれたんだと思いました。
先輩ありがとう。 いつも仲間に入れてくださってありがとう。 ここまで頑張れたのは先輩のおかげです。
優しくしてくれて感謝してます。 でも先輩達が卒業するときは私も一緒に卒業したいです。
だって同じ学年じゃないですか。 先輩達がいなくなったら私一人ぼっちですよ。
一人ぼっちですよ
先輩達のおかげで、今キャプテン頑張れてます。
卒業式来ないで欲しいな。絶対ありがとうございましたって言いそびれるから……
あの時の4年生の先輩には言いそびれちゃったから、今年こそはって思うけど無理だろなあ。
泣いて泣いて何も話せないんだろうなあ。
だからここで、4年生と今年卒業する3年生へ。ありがとう。
133 :竹内:2007/01/19(金) 21:38:22
お父さんありがとう。ある秋の日の事だった。10月09日お父さんは天国へ旅立った。
私とお母さんを残して。お父さんはいつも笑顔だった。
私が悪い事をしたら叱ってくれた。あたりまえだが。
私にとって世界で一番素敵なお父さんだった。
ある日お父さんは首がいたくなった。
病院にいった結果珍しい『首のヘルニア』だった。
私はそれを聞いた時,『死』という事を考えなかった。
治す為,薬を飲んでいた。
いつも『痛いなー』といっていたけれど,それでもやっぱり
笑顔だった。ひどい時は気持ちが悪くなって,10分に一回はトイレで吐いていた。
私はそんな父を見ていられなかった。『かわいそう。なにか他の病気があるんじゃないかな。』と思っていたけど
毎日,自分の家で,友達と遊んでいた。
お父さんはいたそうだったけど笑顔でみていた。
それからしばらくして,お父さんは『あばら骨が痛い』と言い出した。
我慢できなかった程らしく救急車を呼んだ。
そしたら骨折だった。あんまり食欲がなくて何も食べれなかった為,骨が脆くなっていたのだ。それから通院を始めた。
そしたら『腎臓病』という事がわかった。
なぜヘルニアから腎臓病になったかは、分らないままだった。
そして入院が決まった。
私はなぜか『入院』と言葉を聞いてないてしまった。
父の前で。
『もしかして死んじゃうの?』とも思ってしまっていた。
でにそれを思うたびに『死ぬわけないじゃん!ありえねぇから!』と自分に
言い聞かせていた。
134 :竹内:2007/01/19(金) 21:40:00
そして入院生活が始まった。お母さんと私は毎日病院にいった。
お父さんは辛そうだった。くるしそうだった。二ヶ月入院した。
病院から一本の電話がかかってきた。
それは『白血病』という事を知らされた。
その時の私は白血病=死だった。
私は泣いた。
担当医に『後は気力次第』といわれた。
手術する元気はなかったのだ。
それから二日後病院から電話がかかってきた。
『危ない状況』という知らせだった。
私と母はすぐに病院にむかった。
私はむかった途中,『お父さんなら大丈夫!絶対大丈夫!強いもん!』
と何度もおもった。
そして手術の甲斐もなくお父さんは星となった。
私はその100倍もの涙がでた。
でもお父さんの顔は清清しい顔だった。
素敵だった。
最後の言葉は『気をつけてね』だった。
お見舞いから帰る時お父さんはそういってくれた。
最後まで優しい男だった。
私は後になって思った。
『友達と遊んでばかりいないで,お父さんの看病をすればよかった。
もっとお父さんの前で笑ってあげればよかったな。』って。
火葬の時,お父さんの骨はなんの白よりも綺麗だった。
お父さん今までありがとう。
そしてごめんね。って。
でも私は今小学6年生だ。もっと甘えたかった。
でも今までお父さんと生きてきた毎日は宝物だった。
135 :おたく、名無しさん?:2007/01/20(土) 00:07:13
今日体育の時間…
ボールを拾ってくれた同級生…
『○○ちゃんありがとう!』
って言うつもりが…
名前が出て来なかった…焦ってお礼も言えなかった…
仲良かった友達でも、喋れなくなる……へんな人見知り
140 :おたく、名無しさん?:2007/01/22(月) 02:38:35
携帯からなんだが言わせてくれ!
ありがとう!!
今日の話しなんだが昼の2時頃に秋葉のドンキでDQNに絡まれてるところを助けてくれたDQN二人組ありがとう!
なんかいみもなくジッポ見てたら絡まれて金とられそうなとこをホストみたいな二人組に助けてもらた。
マジでびびってた漏れをよそに話し速攻で片付けてくれて本当たすかりました
あーせめてありがとうくらい言える自分になりたい(´・ω・`)
142 :ゆあ:2007/01/24(水) 02:19:59
もうすぐ、息子が一歳になる。
息子の存在を知ったのは一昨年の7月20日。
まだ、結婚も考えてなくて正直戸惑った。でも、なんだか嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
私は生理不順の為に産婦人科に行ったとき「妊娠しにくい身体」って言われてたからなぁ。
付き合っていた彼には電話で伝えた。彼は「頑張って働くよ」って言ってくれた。
嬉しくてまた涙が出てきた。そして入籍をした。
でも、その後が地獄だった。うちは母子家庭で兄が二人。
両家の親の顔合わせの時、母は私に早く彼の家に行けと言った。
追い出されるように彼の家に行った。つわりが酷くて起きられない。暇さえあれば吐いてる。
そんな毎日だった。
その内、姑とも折り合いが悪くなり実家に戻った。
まだ、お腹が目立たない5ヶ月。
母に毎日「働かない奴は出て行け」と物を投げられていた。私は「おっぱぶ」で働く事になった。
妊婦を内緒で雇ってくれるのはここだけだった。必死に働いた。
彼と連絡を取りつつ毎日毎日必死に働いた。
なのに母は旦那に「妊婦は金が掛かる」と、お金をせびっていた。
兄達も当然のように振舞っていた。何も言えなかった。
143 :ゆあ:2007/01/24(水) 02:34:43
妊娠六ヶ月。
やっと貯金が出来た。後ちょっとで出産費用がだせる。
でも、いろいろ買ってあげなきゃ。
そんな思いでいつもお腹を擦ってたっけ。家に帰るといつも罵倒される。
辛くなると息子がお腹を蹴る。頑張ろう。頑張って家族三人で暮らそう。
妊娠七ヶ月。
お腹が目立ってきた。ギリギリまで働こう。頑張ろう。昔の人だって頑張ってたじゃないか。
この子を守れるのは私だけなんだ。頑張らないと。
いつも言い聞かせてたっけ。
辛くなるといつもの用に息子はお腹を蹴ってくれし。
でも、旦那が家にきて母のありえない態度と金の無心について意見したら
私と旦那はそのまま12月の真夜中に締め出されてしまった。
寒かった。
死んじゃうんじゃないかと思った。悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
一時的に旦那の実家に泊まり
すぐに家を借りて出て行った。
何故かその家の周りに母がうろつく様になり
こんな母親になっちゃいけないと思い
産院に帝王切開で出産したいと頼んだ。
あんな母親と同じ産み方なんてしたくなかった。
身体に傷をつけて毎日確認しないと
同じことをしてしまうのではないかと不安になった。
144 :ゆあ:2007/01/24(水) 02:35:30
そして、出産。
可愛くて可愛くて
こんなに小さい子が私のお腹を蹴って
私に力を与えてくれてたのかと思うと
ただ、産まれてきてくれて本当にありがとう。
本当にありがとうしか言えなかった。
でも、術後があんまり良くなくて全然会いに行けなかった。
母は何処から情報を嗅ぎ付けたのか
産院にきて赤ちゃんをよこせと暴れていった。
赤ちゃんの顔も見られてしまった。
自分の赤ちゃんが汚されてしまった感じがして
悔しくなった。
術後で満足に歩けない自分に腹が立った。
初めて人を殺したいと思った。
家に帰ると母にストーカーまがいの事をされた。
でも、今は転勤して遠い遠い所に私はいる。
やっと自分の中に平和ができた。
もし、息子が辛い時にお腹を蹴ってくれてなければ
私はこの世に居なかったと思う。
生きて逃げる力をくれたのはお腹の中にいた息子。
助けてくれてありがとう。
今でも、あなたの笑顔に救われています。
産まれてきてくれて本当にありがとう。
お母さんは世界一幸せ者です。
ありがとう。
ありがとうって言いそびれたヤツいる?
http://anime3.2ch.net/test/read.cgi/otaku/1139158897/
23 :おたく、名無しさん?:2006/04/07(金) 19:30:44
ありがとうって言いそびれたやつ
俺の昔飼ってた猫
みーこ
近くの公園で遊んでるときに雨が降ってきた
雨宿りをするために木の下に駆け込んだ
すると子猫の鳴き声、ふと見ると小さい子猫がダンボール箱にくしゃくしゃにされたティッシュと一緒に入っていた
お前は俺を見上げるとみゃーみゃーと細い声で鳴いた
今までペットを飼ったことがなかった俺はすぐ家につれて帰ってお母さんに頼んだ
お母さんはやさしく笑って買って良いよ。といってくれた
それからお前の名前を考えていてみゃーみゃー鳴くからみーこという名前をつけた
俺とお前は毎日遊んだよな・・・
寝室で一緒に布団にねっころがって昼寝したり
押入れに隠れて遊んだり
その辺の野良猫とけんかしてるのを俺が助けてやったり・・・
毎日一緒に笑って毎日一緒に遊んで、時にはケンカもした
本当だよ・・・?お前は俺のひざに噛み付いて引っかいたね
すごく痛かった・・・
その傷跡、今でもしっかり残ってるよ・・・
でもなつかしい
お前とあえて本当によかった・・・
24 :おたく、名無しさん?:2006/04/07(金) 19:32:38
それから何年かして沖縄に引っ越した
お前はなれない土地でビクビクしていた
それでも俺が学校から帰ると玄関の前にねっころがってみゃーみゃーと鳴いていた
それから俺は友達と遊んだりゲームをしたりでなかなかお前をかまってやらなかった
ごめんな・・・今はすごく後悔してるよ・・・
もっと遊んでやればよかった、もっと一緒にいてやればよかった
みーこはあるひ家の前で車に轢かれた
車は俺の相棒を親友を兄弟を家族を一番大切な人を轢いておきながら
知らないフリをしてどっかへいってしまった
おれはお前を助けてやれなかった、本当にごめんな・・・
本当にごめん・・・
親友だったのにね、一緒にいられなくて本当にごめん
お前は最後の力を振り絞って大きな声でみゃーみゃー!と鳴いた
そしてそのまま冷たくなった・・・
あの時は大泣きして声も出なくて言い忘れてた
だから今言うね・・・
本当にありがとう
もしも俺がそっちにいったら
ずっと、ずっと一緒に遊ぼうね・・・
みーこ・・・
29 :おたく、名無しさん?:2006/05/04(木) 18:10:44
ありがとうって言いそびれた奴・・・中学時代の仲間達。
ちょうど俺が中学二年の頃、一人で給食を食っていたとき、
一緒に食おうと言ってくれたのがあいつらだった。
俗に言うDQNって奴だが、本当にいい奴らだった。
一緒に遊んだり、相談相手になってくれたり、
とりとめのない会話をしたり・・・
俺が副会長になるため、選挙活動したときも、
あいつらは一生懸命に協力してくれた。
そして、俺は倍近くの差で副会長に就任した。
「だって俺達、親友だろ?」今でも心に響いてる。
今は別々の高校だが、
修学旅行の時に一緒に撮ったプリクラは
今でも机の引き出しの中に大事にしまっている。
33 :翔 ◆sJQ3SyCI2A :2006/06/01(木) 19:07:19
ありがとうって言いそびれたヤツ・・・・・とても良くしてくれた先輩方
優しくしてくれてアリガトウ
いつも傍にいてくれてアリガトウ
一緒に笑ってくれてアリガトウ
慰めてくれてアリガトウ
こんな俺に優しくしてくれてアリガトウ
他にもイロイロ言いたいけど
あと一言だけ言いたい
別れの挨拶を言えなくて
ごめんね
67 :おたく、名無しさん?:2006/11/03(金) 22:41:20
父さんにありがとう
肺癌であと一週間もたないと言われた時に母さんが父親に
「子供3人の中で誰が一番可愛い?」と聞いた
「お兄ちゃん?」
「う〜ん」
「お姉ちゃん?」
「う〜ん」
「弟?」
「う〜ん」
「…全員?」
「…うん…」
父さんごめん
ありがとう
79 :さやか:2006/11/26(日) 01:16:58
「ありがとう」をどうしても伝えたいのでこの場をお借りします。
大好きなばあちゃん。
あなたが死んでもう二年がたちます。たくさん心配させるだけさせて、
肝心な言葉は伝えたことがなかったね。
「ありがとう」ちゃんと届いてる?
「ありがとう」お願いだから届けてください。
「ありがとう」素直に言えなかった
「ありがとう」本当は大好きだったんだ。。。
夢の話、したかった。私の夢、きっとあなたは笑うだろうな。
詩を書くことを仕事にしたい。
「そんな才能ないでしょ」ってさ・・・
書くとしたらあなたの事もかきたいと思った。
あなたが死んでしまった後、実感湧かないまま、書いたのがこれ・・・
80 :さやか:2006/11/26(日) 01:20:37
知らなかった
知りたくなかった
人は本当に死んじゃうって事を
ニュースなんかでやっているのは
きっとどこか遠くのお話で
身近には無いことと勝手に決めつけてしまっていた。
届けたい・・・
もう届くことのないこの想い
これからもずっと
私の中で残っていくんだろうな・・・
止まることのない涙と共に・・・
「うるさい!」って電話を切った私、
ずっと胸がズキズキしてた。
素直に話す事を恥ずかしいと思ってた
いつもフザけて話てたね
でも・・・
それでもあなたが居てくれた事に感謝してた。
神様は居るのかなって思えた。
82 :さやか:2006/11/26(日) 01:26:14
さよならの日、それはすぐにやってきた。
苦しめた病名・・・それはガンだった。
乳ガンからリンパ腺に転移したガンで、
もう体はボロボロだった。
どんどん弱っていくだけの姿を見ているのは本当に辛かった。
抗ガン剤の副作用で抜け落ちた髪を
寂しそうに見つめる表情
帽子を取り、私に向かって見せる
照れたような笑い顔が
頭から離れないでいる・・・
あなたがこの世を去って二年が経つ・・・
結局私が最後に言った言葉は「うるさい」だったね。
今でもはっきり覚えてる。
もう消せない・・・
戻らないこの言葉を
私はどう思い出にしていったらいいのだろう
」
ばあちゃん、帰ってきてくれない?
もう、どうにもできないの?
いっぱい、いっぱい
「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わせてほしいよ。
恥ずかしいのなんて言い訳でしかなかった。
言葉って、伝えることって、本当に大切なことなんだね。
あなたが居てくれたから気付けたんだよ。
ありがとう。
本当にありがとう。
あなたの孫として傍に居れて本当によかった。
ありがとうね。。。
85 :おたく、名無しさん?:2006/11/26(日) 03:53:08
家族に「ありがとう」って感謝ができません。
ごめんなさい。
でも、みんなが嫌いなわけではないんです。とっても好きです。
ごめんなさい。
こういう所じゃないと言えないなんて情けないね、自分。
87 :餓鬼名無しさん:2006/11/27(月) 17:39:24
4日前父さんが死にました
父さんの誕生日の2日前に死んだ
ここのスレ見て「ありがとう」を言う勇気が出て
誕生日に言ってやろうとしたけど
死んじゃいました
なんか涙がでないです
色々今までの思い出が頭のなか走っています
些細なことがとても懐かしいです
父さんの事はウッセー氏ねとか言ってたけど
大好きでした
ありがとう父さん また会えたらいいね
102 :父さんへ:2006/12/09(土) 10:34:55
突然、心臓麻痺で倒れて、そのまま父は逝った。
旅行先だった。父さんが一番楽しみにしてた。
毎月でも行きたかったけど、家が貧乏だから。
毎年だけど夏に海へ行ってたんだ。
一日目の海ではしゃいでた父がまだ残ってるよ。
子供みたいにはしゃいでから寝てたアンタを見るのが、毎年の楽しみだったよ。
一日目の夜に、明日は○○海岸行こうって、ホント子供みてーだなぁとか言ってからかってた。
そんで次の朝なかなか起きない父を見てオレは泣きそうになった。
父が冷たかった。
昨日あんなにはしゃいでたのにな。はしゃぎすぎたんじゃねーの?
それでも俺は泣かなかった。家族の前で泣くやつは男じゃないとか勝手に造ってて。
妹も母も泣きじゃくってた。見てるのが辛かった。
それでもオレは、ばかみてー意地張ってに泣かなかった。
103 :父さんへ:2006/12/09(土) 10:37:33
数日後に、母さんが俺と妹に真剣な顔で言ってきた。
父さんは元々、心臓が弱かったらしい。
医者とかにも、海は行くなって言われてたらしいけど
なんで海に行くのをおkしてくれたのか、後になって母さんにだけ教えてくれたらしい。
母さんはまた泣きながら俺たちに話してくれた。
父さんはもう自分が長くはないって分かってたらしい。
だから、最後に家族で沢山思い出を作ってやりたいんだ って
子供たちに、いい親父だった。って言わせてやるんだ って
母さんが泣いて、妹も泣き始めた。
オレももう、泣かずにはいられなかった。
はじめて家族の前で泣いた。どんな時も泣かなかったのにはじめて泣いた。
馬鹿な親父だな。もう一年生きてたら最高の親父だったよ。
でもオレには馬鹿な父親じゃないとダメだった。
アンタが馬鹿でよかったよ。最高なんていらないんだよ。
ありがとう父さん。いつかオレがそっちに行っても、ずっと馬鹿な親父でいてよ。
106 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:31:26
2年前の2月、私の支えとなっていた人「あおい」が死んだ
年齢も、本当の名前も、どこに住んでいるのかも知らない人だったけれど
私と共に、今を精一杯生きてくれた
3年くらい前、某歌手の小説掲示板であおいは小説を投稿していた
私はその小説に興味を持ち、読み始めた
そして知ったのは、命の大切さをテーマにしていること、彼女が
余命半年の肺がんだという事だった
年齢は知らなかったけれど、確か高校生だった気がする
私はその時、たったの中学1年生で「死にたい」と願っていた頃だった
そこには、あおいと同じように余命を告げられたもの
死にたいと願っているもの、悩みを抱えているものが集まった
皆は自分の悩みを相談しては、答えを、勇気を貰っていた
私も、今どうしたらいいのだろうと、あおいに声をかけた
私には生まれつきの病気があり、判明したのは小学5年生だった…
半年に1度検査を受け、数年に1度大きな検査を繰り返し受けていた
直接的に死に繋がる病気ではなかったけれど、苦痛だった
中学校に上がり、病気は私のコンプレックスになっていった
その事から私は内気な子になってしまい、それをいい事にいじめを受けた
毎日、毎日、それは耐えなかった
時間が経てば経つほど「死にたい」と願うようになり、手首を切っている
という事を
すべてを打ち明けた後、あおいは何よりも優しい言葉をかけてくれた
今まで生きていた中で、1番心に響いた言葉だった
107 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:33:51
数ヶ月間、私とあおいの会話はつづいていた
病気のせいで体が痛くても、涙を流す日があっても必ず
あおいは返事をくれた
それから1つ目の約束を交わした
「なら、約束しようや?お互いどんなに辛くても、苦しくても
ピンチになった時はぜったいに飛んでいくって
あんたがいじめられたら、あたしがそいつらを殴ってやる
手首切りたくなったら、あたしの手首を切ればいい
泣いても泣いても涙がとならない時は、一緒に泣いてやる
やからな?ぜったいに、死ぬなんて言わん約束してや?
あたしもあんたのために生きるからな?」
あおいは本当にいつでも私を助けてくれた
私は死ぬ事を考えなくなっていった
だけど私はそんなことから、大切な事を忘れていた
あおいが余命半年だという事を
1つ目の約束を交わし数ヶ月が経った頃
私は毎日が充実していて、あおいへ書き込みをすることもなくなっていた
108 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:41:01
そんな数ヶ月が経ったある日、久しぶりに話をしようと
掲示板へいった
そこで思いもしなかった真実を知った
あおいが亡くなっていた
それは私の13歳の誕生日の3日後・・・2月4日
あおいは友人に言葉を残して、友人は私達にそれを伝えに来ていた
「なぁ死ぬなんていわんといてな?あたしは精一杯生きたで。
あたしは今頃空におるんやろな・・・
辛い時は空を見上げるって約束してな?
どんな時でも空を見上げれば、優しい気持ちになれる
死ぬなんて、ほんまにもういわんといてほしい
ずっとあたしはみとるから、辛い時は空を見上げて」
あたしはそれから空を見上げるようになった
空にはいろいろな色があるんだね
色々なくもの形もあるんだね
本当に優しい気持ちになった
でも今となっては沢山の後悔をしています
109 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:45:48
あおいはいつも元気で、弱音なんてひとつも吐かずに
私の話を聞いてくれていた
本当にいつも元気だった
だから、あおいがいつか死んでしまうことを忘れていた
これはいいことなのか悪いことなのかも分からない
もっとあおいと話したかった
あたしはあおいに助けて貰うばかりで
あおいに何もしてあげられなかった
何ができたんだろうって
悔やんでばかりだった
何度嘆いても、もうあおいに伝わることは無いのに
あおい、あたしは今幸せです
病気が完治することはないけれど、いい方向へ向かっています
苛めも今のところは、ないです
本当に毎日が充実していて
とても幸せです
大切な友達が居て
大好きな家族が居て
とても幸せです
あおいは今幸せですか??
110 :あおいへ:2006/12/10(日) 01:48:47
あたしはこれからも、ずっとあおいを忘れません
忘れることなどできるはずがありません
私は来年、高校生になります
今を精一杯生きています
死にたいなんて、もう思いません
むしろもっといっぱいいっぱい生きたいです
ちょっとくさいけど、あおいのぶんも
もっともっといきたいです
あおい
本当にいつもありがとう
本当にありがとうございました
あの時恥ずかしくていえなかった言葉を
今、数え切れないくらい伝えたいです
ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう
ありがとう、ありがとう、ありがろう、ありがとう
118 :おたく、名無しさん?:2006/12/12(火) 21:22:23
母さんに感謝したい。
小さいときから俺はずっと甘えていた、
それを小言をいいながら許してくれて実行してくれた、
でも母さんはしんでしまった。最後の日は修学旅行の当日だったな
車で学校まで送っていってもらって母さんが
「迎えは4時に行くからね、それじゃがんばってね」といって帰っていった
そしてホテル先についたとたん、連絡が入った、
母さんがいきなり心臓発作をおこして病院に運ばれたと。
俺はすぐさま病院に向かった、すると、そこには、俺が小さいときに優しく接したり、
貧乏だから毎日毎日きつい仕事から帰って俺たちの面倒を見た
疲れ果てたような母の息をしていない姿があった。
そして俺は、ふと思い出したそれは修学旅行で食べる1日目の弁当だ、もちろん母さんの手作り弁当
それを号泣しながら食べた、それはどんな高級な食べ物よりめちゃくちゃ美味しかった
それは、親がいつも優しく育てたり、時には怒ったり、喧嘩したり、働いて帰ってきたり・・・
そんな母さんの優しさの味がした。
ご飯の上に乗っかっているふりかけ・・・・そうだなぁそういえば修学旅行の前夜に
一緒に作ったっけ・・・俺が分量間違えて怒られたなぁ
そんな愛情たっぷりの弁当を食べた
そしてその日の夜俺はある夢を見た
それは俺が母さんに甘えてお菓子をおねだりしている夢だ、これは最近でもしていることだけど
目が覚めるとそこには現実、隣の部屋をのぞくと誰も居ない、いつもは母が寝ているのに。
それをみると俺は号泣した・・・これがいちばん悲しかったんだなぁ
お母さん・・・今は天国で見守ってるのかなぁ、どんな思いで天に昇っていったんだろうなぁ
今はそれが一番知りたい。 親孝行はなんにもしてあげられない。
前夜に「金をかせいで親孝行する」と決意したばっかりだったのに
母さんはもういない、でも俺は思った。
一番の親孝行とは「俺が一生懸命母ちゃんの分まで生きる」ということじゃないのかと
そして生きて死んだときにはまた母さんと会える・・・
それを信じてこれから精一杯いきて将来大物になって父さんを喜ばせたい
これが今の想いです
みんなは親が居る内に親孝行をしてね。親が死んだ時にはきっとあなたの親は喜ぶはず。
128 :疾風丸:2006/12/30(土) 00:33:39
おはつです。
俺は中1の糞餓鬼です。
俺はよく母さんに怒られます。
今日(昨日?)は、弟がすごい怒鳴られていました。
俺はそういう母さんが大嫌いです。
声に出して抵抗するのは出来ませんが、心の中でウザいとかウルセェーとかいろんなことを思っています。
父さんにも、たまにおもいっきりビンタされるときがあります。
でも、そのとき母さんは俺をかばってくれます。
俺はかばってもらってからまだ一回もお礼をいったことがありません。
なので、この場を借りて親にいろいろお礼をさせて下さい。
お母さん。
いつも旨いご飯作ってくれてありがとう。
俺はお母さんの作ってくれるご飯も、お母さんも大好きだよ。
俺がお父さんに怒られてるときかばってくれてありがとう。
いつもお父さんに怒られて泣いているのは、殴られていたいからじゃなくて、
お母さんがかばってくれるのがうれしくて泣いているんだよ。
お父さん。
一緒に遊んだりしてくれてありがとう。
お父さんと一緒にいる時間は凄く少ないけど、休みの日とか遊べてすごくうれしいよ。
ありがとう。
いつか直接言いたいな。
129 :弘美:2007/01/07(日) 03:29:04
始めまして、弘美って言います。いまゎ中B受験生です。
弘美もありがとうってゆうのわお母さんとかお父さんに面と向かって言ったことがありません。
ただ、お母さん、お父さんが弘美にくれる愛情とかが嬉しくて、ありがとうって思っているだけで、なかなか恥ずかしくて言えない。
今もお母さんわ仕事で疲れてるのに、弘美の願書の内容を一緒に、一生懸命考えてくれてる。
でもやっぱ眠いみたいで弘美の隣で寝てる。
やっぱり疲れてるよね、弘美のためにいつも、ご飯とか、いろいろ。
本当にありがとう。
本当わ言葉に出して言わなきゃいけないってわかってる。
でもやっぱり照れくさくて言えない。
まだ言えないです。
ありがとう
この言葉って、言ってるよぉで、じつわ一番言わなきゃいけない人達に言っていんだ…。
だから、ちゃんと小さな声でもありがとうって言っていこうっておもう。
それで、弘美がもっと大人になったら
ちゃんと大きな声でありがとうを言いたい。
今ゎまだ言えないから、この場を借りて言います。
お母さん、お父さん知ちゃん、愛ちゃん、聡
家族皆、弘美わ大好きです。
いっぱい、いっぱい、ありがとう。
130 :おたく、名無しさん?:2007/01/09(火) 03:08:03
2ちゃんの皆には感謝してます
いつも馬鹿言って笑わせてくれてありがとう
寂しい時励ましてくれてありがとう
死にたい時生きろと言ってくれてありがとう
本当に数えきれない人に助けられました
本当に言えなかったけどありがとう。
132 :おたく、名無しさん?:2007/01/10(水) 02:06:12
私「はい!なんでしょうか?」
4年の先輩「こんどから○○は2年生と同じだから!」
私「はい?」
先輩「練習めちゃ頑張ってるし、2年生を追い越すぐらい頑張りな!」
私「……」
先輩「今度から2年生ってキャプテンに呼ばれたら○○もくるんだよ。
2年生も1年もおんなじもんだよ。たった1年生まれるのが早いか遅いかだろ?」
私「……はい」
先輩「○○?」
私「はい!」
先輩「○○の代が一人なのは、うちら4年と3年が、もちろん2年生も勧誘頑張らなかったからだと思うのね……ゴメンね」
私「……そんなこと……。」
先輩「だから全員が同学年だと思って何でも相談してね!」
きっと先輩たちが前日に集まったのは 私に寂しい思いをさせないようにこうしよう!ああしろ!
と話し合ってくれたんだと思いました。
先輩ありがとう。 いつも仲間に入れてくださってありがとう。 ここまで頑張れたのは先輩のおかげです。
優しくしてくれて感謝してます。 でも先輩達が卒業するときは私も一緒に卒業したいです。
だって同じ学年じゃないですか。 先輩達がいなくなったら私一人ぼっちですよ。
一人ぼっちですよ
先輩達のおかげで、今キャプテン頑張れてます。
卒業式来ないで欲しいな。絶対ありがとうございましたって言いそびれるから……
あの時の4年生の先輩には言いそびれちゃったから、今年こそはって思うけど無理だろなあ。
泣いて泣いて何も話せないんだろうなあ。
だからここで、4年生と今年卒業する3年生へ。ありがとう。
133 :竹内:2007/01/19(金) 21:38:22
お父さんありがとう。ある秋の日の事だった。10月09日お父さんは天国へ旅立った。
私とお母さんを残して。お父さんはいつも笑顔だった。
私が悪い事をしたら叱ってくれた。あたりまえだが。
私にとって世界で一番素敵なお父さんだった。
ある日お父さんは首がいたくなった。
病院にいった結果珍しい『首のヘルニア』だった。
私はそれを聞いた時,『死』という事を考えなかった。
治す為,薬を飲んでいた。
いつも『痛いなー』といっていたけれど,それでもやっぱり
笑顔だった。ひどい時は気持ちが悪くなって,10分に一回はトイレで吐いていた。
私はそんな父を見ていられなかった。『かわいそう。なにか他の病気があるんじゃないかな。』と思っていたけど
毎日,自分の家で,友達と遊んでいた。
お父さんはいたそうだったけど笑顔でみていた。
それからしばらくして,お父さんは『あばら骨が痛い』と言い出した。
我慢できなかった程らしく救急車を呼んだ。
そしたら骨折だった。あんまり食欲がなくて何も食べれなかった為,骨が脆くなっていたのだ。それから通院を始めた。
そしたら『腎臓病』という事がわかった。
なぜヘルニアから腎臓病になったかは、分らないままだった。
そして入院が決まった。
私はなぜか『入院』と言葉を聞いてないてしまった。
父の前で。
『もしかして死んじゃうの?』とも思ってしまっていた。
でにそれを思うたびに『死ぬわけないじゃん!ありえねぇから!』と自分に
言い聞かせていた。
134 :竹内:2007/01/19(金) 21:40:00
そして入院生活が始まった。お母さんと私は毎日病院にいった。
お父さんは辛そうだった。くるしそうだった。二ヶ月入院した。
病院から一本の電話がかかってきた。
それは『白血病』という事を知らされた。
その時の私は白血病=死だった。
私は泣いた。
担当医に『後は気力次第』といわれた。
手術する元気はなかったのだ。
それから二日後病院から電話がかかってきた。
『危ない状況』という知らせだった。
私と母はすぐに病院にむかった。
私はむかった途中,『お父さんなら大丈夫!絶対大丈夫!強いもん!』
と何度もおもった。
そして手術の甲斐もなくお父さんは星となった。
私はその100倍もの涙がでた。
でもお父さんの顔は清清しい顔だった。
素敵だった。
最後の言葉は『気をつけてね』だった。
お見舞いから帰る時お父さんはそういってくれた。
最後まで優しい男だった。
私は後になって思った。
『友達と遊んでばかりいないで,お父さんの看病をすればよかった。
もっとお父さんの前で笑ってあげればよかったな。』って。
火葬の時,お父さんの骨はなんの白よりも綺麗だった。
お父さん今までありがとう。
そしてごめんね。って。
でも私は今小学6年生だ。もっと甘えたかった。
でも今までお父さんと生きてきた毎日は宝物だった。
135 :おたく、名無しさん?:2007/01/20(土) 00:07:13
今日体育の時間…
ボールを拾ってくれた同級生…
『○○ちゃんありがとう!』
って言うつもりが…
名前が出て来なかった…焦ってお礼も言えなかった…
仲良かった友達でも、喋れなくなる……へんな人見知り
140 :おたく、名無しさん?:2007/01/22(月) 02:38:35
携帯からなんだが言わせてくれ!
ありがとう!!
今日の話しなんだが昼の2時頃に秋葉のドンキでDQNに絡まれてるところを助けてくれたDQN二人組ありがとう!
なんかいみもなくジッポ見てたら絡まれて金とられそうなとこをホストみたいな二人組に助けてもらた。
マジでびびってた漏れをよそに話し速攻で片付けてくれて本当たすかりました
あーせめてありがとうくらい言える自分になりたい(´・ω・`)
142 :ゆあ:2007/01/24(水) 02:19:59
もうすぐ、息子が一歳になる。
息子の存在を知ったのは一昨年の7月20日。
まだ、結婚も考えてなくて正直戸惑った。でも、なんだか嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
私は生理不順の為に産婦人科に行ったとき「妊娠しにくい身体」って言われてたからなぁ。
付き合っていた彼には電話で伝えた。彼は「頑張って働くよ」って言ってくれた。
嬉しくてまた涙が出てきた。そして入籍をした。
でも、その後が地獄だった。うちは母子家庭で兄が二人。
両家の親の顔合わせの時、母は私に早く彼の家に行けと言った。
追い出されるように彼の家に行った。つわりが酷くて起きられない。暇さえあれば吐いてる。
そんな毎日だった。
その内、姑とも折り合いが悪くなり実家に戻った。
まだ、お腹が目立たない5ヶ月。
母に毎日「働かない奴は出て行け」と物を投げられていた。私は「おっぱぶ」で働く事になった。
妊婦を内緒で雇ってくれるのはここだけだった。必死に働いた。
彼と連絡を取りつつ毎日毎日必死に働いた。
なのに母は旦那に「妊婦は金が掛かる」と、お金をせびっていた。
兄達も当然のように振舞っていた。何も言えなかった。
143 :ゆあ:2007/01/24(水) 02:34:43
妊娠六ヶ月。
やっと貯金が出来た。後ちょっとで出産費用がだせる。
でも、いろいろ買ってあげなきゃ。
そんな思いでいつもお腹を擦ってたっけ。家に帰るといつも罵倒される。
辛くなると息子がお腹を蹴る。頑張ろう。頑張って家族三人で暮らそう。
妊娠七ヶ月。
お腹が目立ってきた。ギリギリまで働こう。頑張ろう。昔の人だって頑張ってたじゃないか。
この子を守れるのは私だけなんだ。頑張らないと。
いつも言い聞かせてたっけ。
辛くなるといつもの用に息子はお腹を蹴ってくれし。
でも、旦那が家にきて母のありえない態度と金の無心について意見したら
私と旦那はそのまま12月の真夜中に締め出されてしまった。
寒かった。
死んじゃうんじゃないかと思った。悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
一時的に旦那の実家に泊まり
すぐに家を借りて出て行った。
何故かその家の周りに母がうろつく様になり
こんな母親になっちゃいけないと思い
産院に帝王切開で出産したいと頼んだ。
あんな母親と同じ産み方なんてしたくなかった。
身体に傷をつけて毎日確認しないと
同じことをしてしまうのではないかと不安になった。
144 :ゆあ:2007/01/24(水) 02:35:30
そして、出産。
可愛くて可愛くて
こんなに小さい子が私のお腹を蹴って
私に力を与えてくれてたのかと思うと
ただ、産まれてきてくれて本当にありがとう。
本当にありがとうしか言えなかった。
でも、術後があんまり良くなくて全然会いに行けなかった。
母は何処から情報を嗅ぎ付けたのか
産院にきて赤ちゃんをよこせと暴れていった。
赤ちゃんの顔も見られてしまった。
自分の赤ちゃんが汚されてしまった感じがして
悔しくなった。
術後で満足に歩けない自分に腹が立った。
初めて人を殺したいと思った。
家に帰ると母にストーカーまがいの事をされた。
でも、今は転勤して遠い遠い所に私はいる。
やっと自分の中に平和ができた。
もし、息子が辛い時にお腹を蹴ってくれてなければ
私はこの世に居なかったと思う。
生きて逃げる力をくれたのはお腹の中にいた息子。
助けてくれてありがとう。
今でも、あなたの笑顔に救われています。
産まれてきてくれて本当にありがとう。
お母さんは世界一幸せ者です。
ありがとう。
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