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1 [セピア] セピアな思い出∫泣ける話 04/10/06 00:36
04/10/06 (神谷) Comment
セピア板より「セピアな思い出∫泣ける話」

「思い出」と言う言葉ほどセピアという色に似合う言葉は無いのではないでしょうか。
思い出せばいつもセピア色にかかるあの頃。
このスレは、セピアな思い出を語るスレです。

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1 : ◆kuriu7uP3. :04/02/09 18:38
セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!


5 :大人になった名無しさん :04/02/09 18:50
小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。
俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してや
といわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。
休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
その休み明けそれが1月17日震災の日だった。
俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってくる4人揃ったが後1人こない。
心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。
光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたがワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの
家に避難することになってしまった。
そして2月に入っての新聞。死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモをやつ姉貴が渡してくれた。
メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」



「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。

あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四
今も部屋の机の上に置いている。


6 :大人になった名無しさん :04/02/09 18:57
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。

別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく
機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
地獄の黙示録完全版を観ることにした。
ワルキューレの騎行の曲を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この曲を一生懸命覚えて歌っていたっけ。

ヒューイの模型だってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。


14 :大人になった名無しさん :04/02/09 21:28
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。


23 :大人になった名無しさん :04/02/11 23:19
こんな気持ち友達に言えないからココに書きます。
十年以上前に自殺した姉の死亡検案書を
ある事情があって、今目にしました。
私はまだ幼いと言うことで色々知らされていなかったことが
検死の結果に書き込まれていました。
何処でどんな風に何時頃死んだのか。事実が書かれていました。
一人で、どんなことを考えながら死んだのか、それはわからないけど。
薄い紙を見ながら号泣しました。
今まで姉のことを忘れよう忘れようとしていたけれど、
なんで、なんで一人で死んでしまったの。

私は今結婚して子供が今年小学校だよ。
平凡で幸せだよ。
だけどあの夜、何か私に力があったら
その場に走って行けたのでは?
その手を止めることが出来たのでは?
無理だとわかってても考えてしまうよ。

逢いたいな。


25 :大人になった名無しさん :04/02/12 10:51
俺が幼稚園児だった頃、担任は野暮ったい眼鏡の若い女の先生だった。
眼鏡をはずした顔を見せてくれなくて、俺たちがいくらせがんでも
「みんなが卒業の時に見せてあげるよ。」
って笑ってた。
んで卒園式。俺たちは小学校に行っても大して面子は変わらないし
新しい環境は楽しみだったし、何より別れが悲しいって良くわかってなかったと思う。
いつもみたいに笑って「卒園式」ってイベントに少しはしゃいでた。

式が終わって先生が眼鏡を取って見せてくれた。皆笑った。「へんな顔ー」
別におかしかったワケじゃないけど、はじめて見る素顔はいつもと雰囲気が違ったから。
でも先生は泣いた。
「みんなはたのしい?先生は嬉しいけど悲しいよ。」ってクシャクシャに泣いてた。

先生は結婚退職で俺らが最初で最後の生徒だったそうです。
もう二十年も前の話です。別れってこういうモノなんだって解った最初の思い出です。


37 :大人になった名無しさん :04/02/26 23:41
もう4年くらい前になる。俺が高校生の時の話だ。

部活が終わって、夕方6時ごろ、部室の鍵を返しに職員室にいくと、同級生
の女子が3人、先生となにやら話していた。そのうちの一人は泣いていた。
どうやら捨て猫を見つけたらしい。と、いうよりも高校の近くに住む若い男
たちが見つけ、農業・畜産系もやっているウチの高校に猫に詳しい奴がいる
のでは、と思い連れてきたらしい。子猫は近くの用水路近くで、、ビショビ
ショに濡れた段ボールの中で一匹、うずくまっていたらしく、かなり衰弱し
ていた。まだ、生後1〜2週間くらいだった。

その泣いていた女の子(以後Aさん)は、その子猫が可愛そう、また捨てた
奴に対する怒りで涙が止まらなかったようだ。優しいんだよねAさんは。俺
が結構な動物好きってことを知っていた先生が「○○(俺)、すまないが学校
ではどうすることもできない。動物病院に連れて行ってやってくれ。お金は、
先生がなんとかするから」といい、俺ともう一人の友達、Aさん達で近くの
動物病院にいった。




38 :37 :04/02/26 23:42
続き
幸い獣医さんたちもとてもいい人で、なんと無料で診察してくれた。子猫は獣医さ
んの用意したミルクをゴクゴク飲んで、さっきより大分元気になったようだった。
その日はAさんが猫を連れて帰ることになったが、獣医さんは「今は一時的に回復
したけど、衰弱が激しかったからもしかしたら長く生きられないかもしれない」と
言っていた。でも、Aさんは子猫を家に連れて帰り、アドバイスを参考に一生懸命
世話をしたらしい。

翌日「よくミルクも飲むし、元気になったみたいだよ」とAさんがいっていたが、そ
のわずか2日後、子猫は死んだ。夜に急に鳴かなくなり、そのまま静かに息を引き取
ったらしい。Aさんは自分のせいだとまた泣きまくっていた。それみて俺も泣きそう
だったよ。俺んちがマンションじゃなきゃ交代で面倒みたかったよ。でも、子猫は幸
せだったと思うよ。少しでも暖かくしてくれた人に巡り逢えたんだし。悪いのはAさ
んじゃないよ、捨てた奴だ。動物は飼った以上、途中で捨てちゃダメだ。同じ命ある
ものなんだから、大切にしなきゃな。当たり前のことだが、命の大切さについて改め
て実感させられたよ。長々とゴメソ。


40 :大人になった名無しさん :04/05/02 04:05
ふと気がつけば、もう随分と昔の話。

学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。
試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の二つを買った。
甘いものが好きで子供舌なオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。

当時、オヤジはガンの手術を受けた直後。家のベッドで療養していた。
衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンを千切って食べさせた。

「うん、美味いな」
「だろ?だから思わず買ってきたんだって。もっと喰う?」
「……いや、いい」

オヤジはメロンパンを二欠片しか喰ってくれなかった。
ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ二個のメロンパンを平らげた。


それから数ヶ月。
転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。
通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっと一段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。
そこで初めて知った事が二つ。

オヤジはそんなにメロンパンが好きではなかったという事。
あの時、既にオヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなく、
たった一片のメロンパンでさえ食べるのが苦しかったはずであるという事。


オヤジは無理してメロンパンを食ってくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように。


メロンパンを見せた時の「おぉ!」という声と笑顔。
「喰う?」と聞いた時にも躊躇い無く「喰う」と答えてくれた。

思い出して、涙が止まらなかった。


一昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。
俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。



長文スマソ。


45 :大人になった名無しさん :04/05/21 15:13
 僕は小さい頃に両親に捨てられて、いろいろな所を転々として生きてきました。
小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」とかいろんな事言われました。
たまに同級生の子と遊んでいて「○○君の家に行こう!」とかなっても、僕が遊びに行くとそこの家のお母さんが
「○○君と遊んではいけないっていったでしょ!」とそこの家の子供を叱ってる声が聞こえ、僕を汚い物を見るよう
な目で「○○は今日遊べないの・・」というようなことが日常茶飯時でした。
 僕は弱い人間なので、そんな事が重なるうちに独りでいる事が一番傷つかず、一番楽なのだと思いました。
けど、僕にも言いたい事は一杯あった。汚い服、同じ服着ていても僕は、僕は人の物盗ったり、傷つけたりはしてない。
両親はいないけど、僕にはどうする事もできないんだよ!僕だっておとうさん、おかあさんが欲しいんだよ。
 僕はなるべく人と接しないように生きてきた。自分の精神、心を守る為にそうせざるを得なかった。独りで生きていく、
誰にも迷惑をかけずに・・・
 高校に進学した時だった。朝学校につくと僕の机に「死ね」「乞食」「貧乏神」「親無し」等あらゆる悪口が書かれていた。
僕は目の前が暗くなった。僕が何かしたのか?僕がなにか・・・・ただ立ち尽くすのみだった。
 その時僕の目の前から机が無くなった。クラスでも人気者のYが僕の机をかかえあげていた。僕は机で殴られるのかと
思い、目を閉じた。「いくぞ!」とYがぶっきらぼうにいい廊下に出て行く。僕はあとに従った。Yは技術室に行き、紙やすり
で僕の机の落書きを消し始めた・・・・Yはただ一言だけ「つまんない事に負けんなよ。」と言い。黙々と紙やすりで落書き
を消している。「放課後もう一回ここでニス塗ろうぜ。そしたら元どおりだ。」といってにっこり笑ったYを見て僕は泣いた。
Yは照れ笑いをしていた。

Yは6月に結婚する。おめでとう。君がいなかったら今の僕はいない。恥ずかしくて面と向かっては言えないけど、
幸せになって欲しい。そしてこれからも親友でいて欲しい。今まで本当にありがとう。


47 :大人になった名無しさん :04/05/21 15:40
俺はじいちゃんが死んだ日、会いに行けなかった。
次の日の朝、かーちゃんから電話で聞くまで知らなかった。
俺以外、孫は全員集まったらしかった。

俺に連絡が来なかったのは、じいちゃんの意思だったという。

孫が集まった時、かーちゃんは俺に連絡をしようとしたらしい。
でもじいちゃんは、あいつは呼ばなくていい、最期に会えないのは残念だが、
あいつはわかってる、あいつのために呼ばない方がいい、約束したんだからな。
そう言ってかーちゃんを止めたらしかった。

俺はその日、就職の最終面接だった。
小さい頃からじいちゃんが機械をいじってるのを見て育った。
自然と俺も機械いじりが好きになった。
将来はじいちゃんみたいになりたい、そんな約束を確かに子供の頃にじいちゃんとした。
じいちゃんはそのことを覚えてくれてた。


葬式の翌日、採用通知の電話があった。
俺、約束守ったよ。
じいちゃんは喜んでくれてるだろうか。
何言ってやがる、お前なんかまだまだ、といつもの口調で小言を言ってるんだろうか。
遺影に手をあわせながら、心の中で話しかけてみた。

でもじいちゃんには直接報告したかった。
その日初めて泣いた。
涙が止まらなかった。


65 :がちょーん :04/06/23 20:46
今は誰にも話せるんだけどな。
俺の母は、腰骨が曲がってるん それも左に強く。
で、荷物や買い物カゴを持って歩く時は、
体を左右にヒョコヒョコ揺らして、バランスを取るため腕を振って歩くん。
重い買い物カゴの時は、力を入れているのか口をすぼめてヒョコヒョコ歩く。

小学生の頃、クラスのヤツが 
お前んちのかあさんと、くねくねとタコ踊りをしてからかってきたん。
俺は止めろって・・・ケンカになって、結局先に手を出した俺が悪者になったよぅ。
まあ、ケンカになった原因は? と先生に聞かれても 言えないもんだわ。
「**君が、くねくねとタコ踊りをして 母のまねをしました」なんてさ。

それから中一に進級し新設校が出来て校区も変わって
クラスは、ほとんど顔の知らないヤツばかりだった。
俺は絶対に母の事は内緒にするんだ、誰も家に呼ばないと決めた。

だが、ばれてたんだよな これがさぁ。
学校の帰りに角を曲がったら、母が買い物カゴ もう片方には「スイカ」を下げてんだよ。
これがまたもう、ヒョコヒョコ歩くなんてもんじゃないよぉ。
これが、他人なら「僕、近くまで持ちますよ」って感じだぁ。


66 :がちょーん :04/06/23 20:47
今は誰にも話せるんだけどな。(その2)

で、ちょっと回り道とか隠れながら後ろ姿をみて
家の近くまで来たら、近所は俺の母だってんのが知ってるから
そこから、手伝うとするかって。

ががーん、、クラスの**美と**子が、話し掛けてるやん。**美ってちょっと気に入ってるんだよな俺的に。
ありゃりゃ手伝って スイカまで持って、おっ俺んちの前までやんか トホホ。

スイカが出てきた夕食後、
「安かったから買ってきたんだよ」 「重かったけどね」 「あんたのクラスの女の子・・・」
聞きたくないちゅうのー
えっ?「あんたのクラスの女の子・・・」ってなんだよ? 話せよババァ!

途中で、スイカ持ってくれてね 聞いたらあんたと同じクラスの**美さんと**子さんだったの。
「明日、会ったらお礼言ってね」 お礼言ってね・・ お礼言ってね
なんちゅう事聞くんじゃぁ〜 クソババ とオモタヨ。

で、翌日 人目の付かない時に「かあちゃんが、ありがとうって言ってたわ」って言ったんだよ。
それなのに、いきなり「あんた、オカシイんじゃないの!!」
「こそこそ、後ろからみてたでしょ 絶対オカシイよー」
「普通さぁ、持ってあげて一緒に帰るとかしない?」
**美まで、
「**君がさ、前にあれ お前のおばさんじゃない?って言ったら知らない人って言ったよね」
「サイテ−だわ、信じらんなーい、サイテェ−」

俺、泣いたよ 自分の心にさぁ。
**美に「サイテ−」と、言われたのも泣けたよ。(つД`)
まあ、それから完全に開き直って出合ったら「あっ、俺のかあちゃんだ」って言い出したけどね。
あれから、10年・・・・今でも片思いだった**美に「サイテ−」と思われていたら 泣けてくるわ。

今では、俺とつるんでヒョコヒョコ歩くクソバ じゃなくお袋がイトシイわ。


107 :大人になった名無しさん :04/08/26 16:09
小学校5年の時、東京から三橋ってゆー子が引っ越してきた。
なんか都会な感じやったから、ひとめぼれしちゃって。
私は2組やったんやけど、三橋は3組に。でもクラブ活動がバスケットで同じに・・・☆
3組にはゆーちゃんっていう、積極的な女の子がいて、ゆーちゃんも三橋にひとめぼれ。
三橋は女の子には別に興味ないって感じだったからそんなに心配しなかったけどね。

ゆーちゃんの三橋への思いは、学年の皆が知ってる事実になっていった。
本人の前でも「○○(三橋の下の名前)〜!!!」ってベッタリやったし。
そんなゆーちゃん、ハイハイって感じの三橋見てるだけで、なんか幸せやった。
その時は、今みたいに変な気持ちとか全然ないから、「もし両思いになったら・・・?」
って自分と三橋が二人っきりでデートするのを想像してもなんか気持ち悪いなーて思ってて。
まさにあの三橋がいて、私がいて、小学生やったってゆーので幸せやったんやと思う。

けど、6年生の12月中旬公立中学の制服採寸の時、ほとんどの子が採寸してるのに、
三橋はグラウンドで一人サッカーしてた。友達みんな採寸いってるからね。
私は「なんで三橋採寸しーひんのかな??」って思ってた。

その一ヵ月後くらい。
めずらしく三橋が三日連続で学校休んでたから、ゆーちゃんにさりげな〜く(私の気持ちばれんように)
「三橋カゼなんかな〜??寂しいやろー?w」って聞いたら、
「知らんの?○○、中学から東京戻るんやで。休んでんのは、私立中受けるため!」

ささやかで幸せな毎日は一生続くと思ってたのに、やっぱりずっとってわけにはいかへんかった。
2月14日、本当はいっぱい喋ったりしたいのに、「ゆーちゃんからもうチョコもらったん?」
こんなしょーもないことしか言えへんかった。三橋は
「そういうこと言わないでよ」って苦笑い。
卒業式まであと一ヶ月ちょっと。時間はあっという間に過ぎていった。

卒業式。三橋に会える最後の日。卒業証書授与で、自分の名前が呼ばれて、三橋の名前が呼ばれて、
最後に合唱。泣きながら、今が一生続けばいいのにって願った。
その後、教室行って荷物取って校庭に出ようとしたら、手洗い場に三橋が一人でいた。
「もう絶対今しかない」って思って、話し掛けた。

私 「東京の中学戻るんやろー?ゆーちゃん言ってはったわぁ」
三橋「そうだよ。」
私 「中学入ってもバスケ頑張ろな!」
三橋「うん!もう皆に会えないの寂しいけど・・・」

それだけの会話やった。
それでも私の胸に、あの時のことが鮮明に記憶されてる。

当時のゆーちゃん情報では、三橋のお父さんの会社の本社は東京やったらしく、
一時関西に赴任しただけで、もう今後こっちで住むことはない予定やったとのこと。

もう二度と会うことはないのかな。
泣ける話ではないね、ごめん。
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泣ける…。


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