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1 [軍事] 戦時中・戦場での泣ける話 05/03/12 00:47
05/03/12 (神谷) Comment
軍事板より「戦時中・戦場での泣ける話」

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WAminusは、人権擁護法案に反対しています。

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戦後60年。
未だにその出来事は
歴史などにおいて語り継がれています。
そんな戦時中、戦場だからこそ起こったことはあるはず。
このスレは、戦時中・戦場での泣ける話を語るスレです。

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1 :名無し三等兵 :05/01/01 14:55:11 ID:7wY+l151
生死のはざまで銃を手にする兵士たち。
その精神を支えるのは、愛国心か、故郷に住まう愛しき人の笑顔か?

戦地に赴いた父を、夫を、兄を思う家族の願いとは?

愛と友情、そして軍人としての誇りを胸に戦った兵士たちの、
涙無くしては語れない、いい話を教えてください。


13 :海軍中尉(現役):05/01/01 21:21:46 ID:???
小官が候補生だった当時、江田島に下宿を取っていなかったので、
よく日曜日の夜は一人で赤レンガの裏の居住区に寝ていた。
すると回りが急に明るくなり、大勢の人が入って来る気配がして
目を開けると真っ暗闇ということが、二、三度あった。
江田島の英霊方は今でも我々を見守ってくれているのだ。
そう思わない?


17 :名無し三等兵 :05/01/06 04:07:06 ID:xYGVGnaE
多分オカ板かJ隊板にあったんだが
昭和天皇が崩御された日、講堂から万歳三唱が響いた。
学生が驚き講堂を覗くと無数の白手袋だけが万歳三唱をしていたとか言う話


25 :名無し三等兵 :05/01/06 05:30:19 ID:???
21ではないが俺も初め、「え?陛下の崩御で万歳なんて非国民じゃん、何故感動的?」
と思ったよ。
まあでも「(天皇陛下)万歳」の定義は今はなんか曲がってる気がするが
読んで字の如く「(天皇陛下よ)永遠なれ」ってことだからまあ別に目出度い時
ばかりに使う訳でもないと思い感動した。


41 :名無し三等兵 :05/01/10 02:59:35 ID:???
「大空のサムライ」の中の逸話だが・・・

いつか自分の乗機で宙返りするんだって言い張る一式陸攻の操縦士がいて
でも激戦のラエだしワンショットライターの悲しさ、ある日その人の機は
撃墜されるんだけど、火だるまになって降下する間に機首をあげて見事
宙返りをする。そのあとしばらくして爆発・・・。

その操縦士の芸人魂、もとい搭乗員魂に強く心を揺さぶられたものだよ。



42 :名無し三等兵 :05/01/10 03:02:33 ID:274l1czQ
海上での戦没者慰霊祭の様子

 皆さん、現地へ向かう途上ではわりとなごやかなんです
が、いよいよその海域に到着して慰霊祭に臨むと様子が一
変します。故人の名を泣き叫ぶ方。故人からの最後の手紙
をそっと開き、涙される方。ファィンダーが涙で曇って見
えなかったことが幾度あったことでしょう。

 レイテ海戦に参加した戦艦「扶桑」乗員のある遺族は、
海面をじっと見つめ、「兄貴、来たぞ!」と叫んだ瞬間、
ぽろぽろ涙が海上にこぼれ落ちました。「兄貴、一緒に帰
ろうな」と、レイテ島の石を拾い、それを兄と思って持っ
て帰るというんですね。

 慰霊祭の後、甲板の縁に駈け寄って「親父」と叫んで海
に飛び込んだ男性もいました。お父さんの顔も知らずに育
った遺児の方でした。真下にお父さんが眠っている。「こ
れで俺も親父と一緒になれた」と。

 そういう思いが喉まで出かかって戦後を生きて来た人が
たくさんいる。そして報道などで私のことを知って「ア
ッ」と思うわけです。故人終焉の地に行って慰霊したいと
いう長年の悲願を叶えたいと、ワラをもつかむ思いで私に
連絡して来られるのです。[2]


52 :名無し三等兵 :05/01/11 19:38:37 ID:???
うちの祖母が小学生の頃、空襲中にもかかわらず川で水遊びをしていた時に突然米軍機が襲来
機銃掃射してきた。皆、藪の中に逃げ込んだが祖母は土手に立ち、何を思ったか竹竿に布を縛って旗にして振り回した。
すると、米軍機は何故か去っていった。なぜ、そうしたのか?と聞くと

「得体の知れないものに恐怖しない人間はいないでしょ?」

俺はめちゃくちゃ感動した。・・・俺だけかもしれないけど。


53 :名無し三等兵 :05/01/11 20:32:13 ID:???
ばあちゃんは俺の母親を腹の中に入れたまま、大阪大空襲を生き延びたんだそうだ

ばあちゃんが焼かれてたら、俺も母もいなかったんだなぁ…

なにげに言ってたんだけど、やっぱり感謝だな〜長生きしてくれよばあちゃん


54 :名無し三等兵 :05/01/12 17:07:07 ID:9LAtXrne
石原閣下が少年時代
下校途中にグラマンの掃射をうけた。
友人と走るがそこは空き地で隠れる場所がない「もはやこれまでか」と覚悟を決めた瞬間
掃射が止んだ
恐る恐る顔を上げるとグラマンを友軍機が追撃していた
その時の見た
翼の日の丸の美しさ、頼もしさは今でも忘れないと言う。


60 :名無し三等兵 :05/01/15 09:58:00 ID:cHZyfH2W
開戦直前、南方作戦支援の為に仏印沖を航行していた第8駆逐隊の「大潮」が戦艦「榛名」から給油をうけた
艦間に連絡用のロープが貼られ、文書と重そうな箱が大潮に届いた。
中に水谷水雷長宛の「出陣祝い」とした日本酒が入っていた
榛名に乗艦していた、かつての部下からの贈りものだった、水谷は感激し、手旗信号で返礼した。
しかし作戦行動中のこの行動に艦隊司令(阿部俊雄大佐)はカンカン、水谷は青くなった。
しょげた水谷を作業後に吉川艦長がそっと呼んで、こう言った
「かつての部下から酒を届けられたというのはいいことだ。
上下の気持ちが通じてる証拠だよ、これが戦力の根源なんだ
その気持ちを大事にしっかり祝いたまえ」



61 :名無し三等兵 :05/01/15 10:48:35 ID:???
先日、大伯父の葬儀に参列しました。
静かに流れる読経を聞きながら、大伯父がただ一度だけ戦争中の話をしてくれた
ことを思い出していました。

医師だった大伯父は軍医として従軍し、フィリピンで米軍の反攻にあいました。
配属されていた野戦病院が米軍に包囲されそうになり、司令部からの命令で
山を越えて反対側の海岸に脱出することになったそうです。

定められた期日までに目的地に到着しなければならない強行軍です。
自力で歩けない重傷患者は残し、歩ける患者と看護兵だけをつれて山越えを始めた
のですが、行けども行けども山また山の山岳地帯で、補給もなく、持参した食料は
すぐに底をつきました。水一つ汲むにもはるか眼下の谷底まで降りて谷川の水を汲み、
また登らねばならないという困難な道で、すぐに患者から落伍者が出はじめ、遂には
看護兵までが体力のない者から落伍し始めました。
患者は行軍の途中で倒れる者が多く、看護兵の場合は小休止が終わって出発する
ときに立てなくなるものが多かったそうです。


62 :61:05/01/15 10:51:48 ID:???
(つづき)
はじめのうちは看護兵や仲間の患者たちが助け起こして一緒に歩いたそうですが、
なにしろ何日も食べていないのですから、皆体力がありません。そのうち、助けようと
した者も体力を使い果たして動けなくなることが続くようになり、遂に、倒れた者に手を
貸すことを禁じる命令が出されたそうです。

大伯父も飢餓と疲労でフラフラになり、自分もいつまでもつかわからないと思ったそうですが、
それでも将校待遇の軍医ですから、お付きの従兵に荷物を持ってもらうことができ、何とか
落伍せずに付いていく事ができました。それで大伯父は、「もう軍医と言っても名ばかりで、
患者を助けることもできないけれど、この従兵だけは何とかして国に帰してやりたい」と
思ったそうです。

ある日、小休止が終わって出発の号令がかかり、大伯父がやっとの思いで立ち上がった
ところ、いつもは先に立ち上がっている従兵が座ったままでいます。どうしたと声をかけても、
従兵はうつむいたまま返事をしません。疲労困憊して、行軍を続ける気力を失ったのです。
それに気付いた大伯父は、従兵に近寄ると、ふらつく足を振り上げて従兵の顔を蹴りました。
重い軍靴で顔を蹴られて倒れた従兵がキッとした顔で見上げると、大伯父は、
 「貴様、親でもなければ兄でもない者に顔を蹴られて悔しくないか!悔しかったら立ってみろ!」
と精一杯の大声を張り上げて罵りました。
従兵が立ち上がったので、大伯父は本当にうれしかったそうです。

その後、大伯父も従兵の方も苦しい行軍を乗り切って無事に目的地に到着しましたが、
すでにそこにも米軍が来ていたため、結局、野戦病院の生き残り全員が捕虜になり、終戦後
に日本に復員しました。
大伯父とその従兵だった方とは、その方が亡くなるまでずっと親交があったそうです。

おじさん。従兵さんと、また会えてよかったね。


64 :名無し三等兵 :05/01/15 14:31:42 ID:cHZyfH2W
まだ、航空機の技術が未発達の時代
空母「赤城」で着艦訓練を行っていた。
訓練中、1機が着艦のタイミングを誤り飛行甲板を滑って逝く
その時、一人の士官が飛び出し、機体に飛び付いた。
この行動に周りの人間も機体に走り寄り、機体はなんとか止まった。
副長の山口多聞は驚いた、最初に飛び出しのは艦長の山本五十六だったからだ。


68 :名無し三等兵 :05/01/15 16:21:03 ID:???
テレビで放送された実話だが、取り壊しが決まった小学校校舎の中にある古いピアノ
そのピアノは終戦間際に特攻隊員が、「明日、出撃するから死ぬ前にピアノを弾きたい」と言って遠くからわざわざ来て弾いた逸話があるそうだ。
当時、小学校の教師をしていた女性が、そんな話があるピアノだから残して欲しいと署名運動までしたとさ。
結局、その話は新聞にまで取り上げられピアノは残すことになったのだが、新聞に取り上げられたことで予想も出来ないことが起こった。

出撃予定だった特攻隊員が、「それは私です」と名乗り出てきたのだよ。
明日、出撃の予定だったが、乗るはずのゼロ戦が足りなくなったもので出撃は中止
そのまま終戦を迎えたもので、生き残ったのだって、彼は数十年ぶりにそのピアノを弾いて昔を懐かしんだそうだ


69 :名無し三等兵 :05/01/15 17:22:12 ID:???
以前、海軍の主計兵だった人が書いた本に載ってた話。

戦争も末期の頃、件の主計兵さんは某飛行基地に勤務し、お婆さんと
年頃の孫娘が住む、近くの民家に下宿していた。

ある日の夜の事。下宿に若い飛行兵が訪ねてきた。丁度その時、お婆
さんも孫娘も不在だったので主計兵が対応に出たんだけど、飛行兵は
落ち着かない様子で家の奥を覗いている。

その飛行兵、最初はモジモジしてたんだけど、意を決したのか「○○さ
ん(下宿の孫娘)はご在宅ですか?」と聞いてきた。
孫娘は不在だと伝えると凄く落ち込んだ様子で、やっぱり暫くモジモジし
た後、突然「実は、今度行くことになりました」と言ってきた。

何処かへ転属にでもなるのかなぁ、程度に考えた主計兵は、「しっかり
やれよ」と励ましてやったそうなんだけど、後日知ったところによれば、
その飛行兵は特攻隊員で、日頃密かに想いを寄せていた孫娘に対し、
最後の最後に自分の気持ちを伝えに来たらしい事が分かった。

結局、彼はその想いを秘めたまま、空に散華した。


86 :79:05/01/16 03:48:57 ID:???
>83
確か、イギリス王家って遡るとドイツ人も居るみたいだしね。
WW1中、ヨーロッパ戦線では偵察機同士がすれ違うと、敬礼を交わしたって
ね。大量殺戮兵器が出てきても、まだ人間的な部分があったんだね。

そういや、日露戦争で旅順要塞を攻撃した時も、日露両軍では定期的に休戦
して味方の遺体回収するついでに、食料やタバコの物々交換もしてたらしい。
更に進んだ奴になると、お互いに酒を酌み交わして「旅順要塞を絶対落として
見せますぞ」「いやいや、ここは絶対落ちません」ってな会話もしてた。

これだけだと何なので。
俺の爺さんはインパール作戦に従軍した。結果は知られる通り。戦闘の他、飢
餓や病気で何人も戦友が死んでいった。俺の爺さんも、例に漏れず何度も死
にそうな目に遭った。

ある日の事。爺さんはとうとう、動けなくなってしまった。気力で体を動かそうとす
るんだけど、鉛のように重い体は言うことを聞かない。
「俺もいよいよ最期か…」そう思ってると、何やら声を掛けてくる人が居る。が、声
の主を見てビックリした。

爺さんに声を掛けたのは、日頃から目を掛けて貰っていた上官だったんだけど、
彼はとうの昔に戦死してる筈。なのに、目の前で笑ってる。
「おい、どうした○○!だらしないぞ!」「もう少しだ、頑張れ!」
こんな事を爺さんに言ったそうだ。

ともかく爺さんは歩き続け、降伏して捕虜になりながらも何とか生きて帰った。
最初、自分は幻覚を見たんだと思ってたんだけど、実は他の戦友達も上官を
見てて、やっぱり辛い時に現れて叱咤激励したらしい。

「せめて部下達だけでも日本に」。きっとそう思って現れたんじゃないかと思う。
俺はこの話を聞いて以来、幽霊の存在を信じるようになった。


90 :1/2:05/01/16 17:57:08 ID:???
>75俺が以前聞いた話で良ければ。
この話をしてくれた人は、日本語の達者なドイツ人留学生。

戦争末期、ドイツも日本同様に連日爆撃されていた。
そんな中、ある防空部隊に若いパイロットが配属されてきた。若くて美男子、そ
の上パイロットである彼は、大層モテてたらしい。が、本人はそれを鼻に掛ける
事は一切せず、1人の女性だけを愛していた。

その女性と彼は普段から手紙を交換したり、会ったりしてたらしい。周囲もそれ
に気付いてて冷やかしたりしてたものの、若いカップルを暖かく見守っていた。
彼は普段からこう言ってた。「敵は絶対侵入させない。僕の名誉に掛けて、彼女
と彼女が住む街を守ってみせる」。

しかし、彼の意思とは裏腹に激しくなる爆撃。そしてとうとうある日、敵の大編隊
がやって来た。即座に反撃する防空隊。でも、敵の数が多過ぎた。護衛戦闘機
にガッチリ守られた爆撃機は悠々と飛んでいく。


91 :2/2:05/01/16 17:58:06 ID:???
ところが、そんな中を勇敢に突っ込んでいくドイツ機がいた。執拗に食い下がる
護衛戦闘機をものともせず、一機の爆撃機に狙いを定めるとありったけの機銃
弾を撃ち込んだ。エンジンから火を噴き、グラリと巨体を傾ける爆撃機。

誰もが「やった!」と思った次の瞬間、ドイツ機自身も護衛戦闘機の集中攻撃を
受けて撃墜されてしまった。パイロットは脱出できなかった。
そして結局、防空隊の奮戦及ばず街は爆撃を受けてしまい、多くの家屋や工場
が破壊された。

この、撃墜されたドイツ機に乗っていたのは、前出の若いパイロットだった。
けれど、彼女の方は何とか爆撃をかいくぐって生き延びていた。女性は戦後も長
らく生きてたそうだけど、最後の最後まで結婚しなかったらしい。

この話をしてくれた留学生は最後に、「大叔母は結婚しなかったけど、誰にも負け
ない位、幸せな人だったと思うよ。だって、少なくとも1人の男性に命がけで守って
貰えたんだし」と言ってた。


130 :名無し三等兵 :05/01/20 11:37:35 ID:???
南方戦線での話。

その島にはソープがあって、日本から来たソープ嬢が結構居た。兵士達にも
好評で、筆おろししてもらった若い兵士なんかも居た。
戦争開始時はノンビリしたもんだったんだけど、末期になると米軍が上陸して
きて、軍の後退と共に民間人や嬢達も一緒に後退してった。

で、いよいよ苦しくなってきて、軍のお偉いさんが嬢達に、「君等は民間人だし、
米軍も酷い扱いはしないだろうから投降しなさい」と言った。
そしたら、嬢達は「私の身体は兵隊さん達に捧げているんです。私達だけ投降
なんて、絶対できません」と突っぱねる。その後も彼女達は、米軍の「アイスク
リームをあげるから出ておいで」の呼びかけを無視して部隊と一緒に行動し、あ
る者は砲銃弾に倒れ、ある者は病死した。

日本軍降伏時、彼女達も一緒に米軍へと投降したが、その態度は堂々としたも
ので、米軍兵士も感嘆した。

また、別の場所で働いていた嬢は、日頃の客だった部隊が玉砕してしまったが、
「私の身体は、○○部隊の兵士達以外には許していないの。あの人達が玉砕し
た以上、これ以上仕事は続けられないわ」と言って、それ以降はスッパリと足を
洗い、残りの人生を全うした。

「職業に貴賎は無い」という言葉は彼女達にこそ、当てはまる言葉だと思う。


131 :130:05/01/20 12:56:31 ID:???
もう1つ。これは有名な話だと思うけど。

「佐久間艇」こと、第六号潜水艇。
明治43年4月15日。佐久間勉海軍大尉指揮の第六号潜水艇が山口県新湊沖
で潜水実験中に突然海水が艇内に浸入。その後、同艇は海底に着底して動か
なくなった。

17日後になって、浅瀬に回航。吉川中佐立会いで、艇内の検分を行った。
当時、潜水艇は開発されたばかりで性能も信頼の置けるものではなく、他国で
も似たような事件は起きていたが、その場合、例外なく乗組員はハッチ周辺に
殺到していて、中には乱闘の形跡すらあるものもあった。

当然、佐久間艇内もそうなっているだろうと予想されたのだけど、いざハッチ
を開けてみると、艇長は司令塔に、機関中尉は電動機の側に、機関兵曹はガソ
リン機関の前に、舵手は舵席に、空気手は空気圧搾管の前に…と、乗組員14名
は全員、所定の位置でこと切れていた。
これを見た吉川中佐は、「よろしい!」と一言叫んだ後、男泣きに泣いた。

実は、佐久間艇が着底した地点は水深も浅く、脱出しようと思えば魚雷発射管
より脱出可能だった。だが、国民の血税でまかなわれた潜水艇を放棄するには
忍びなく、乗組員は最後まで復旧作業を続けていた。

佐久間大尉の遺書には、天皇より賜った潜水艇を失った上に乗員を死なせてし
う事を詫びる他、乗組員は最後まで職務を全うした事、この事件で帝国海軍に
おける潜水艦の発展が妨げられる事が無いようにして欲しい事、乗組員の遺族
が生活に困窮しないようにして欲しい旨が記されていた。

当時、軍では遺族への補償規定は無かったが、佐久間艇の乗組員への補償はす
ぐに裁可された。
この事件は日本国内だけではなく各国メディアにも取り上げられ、驚愕と感動
を呼び起こし、惜しみない賛美の言葉が送られた。


132 :130:05/01/20 12:57:16 ID:???
更にもう1つ。

これも有名だけど、「伊号 33潜水艦」沈没事件。

昭和19年6月12日、伊予灘で急速潜航訓練中の伊33は機関室に浸水し、水深60m
の海底に着底してしまった。
伊33の和田艦長は、最後の手段としてハッチを開けさせて乗員を脱出させたが、生
還できた2名のみで、艦長を含む100名以上の乗組員は艦と運命を共にした。

そして9年後の昭和28年夏。生き残った乗組員2名立会いのもと、伊33はようやく引
き揚げられた。ところが、前部魚雷発射管室は浸水していない事が分かり、ハッ
チが開けられる事になった。

そこには、低温と無酸素状態のお陰で、生前と全く変わらない状態で横たわる乗組
員の遺体があった。争ったり取り乱した形跡は皆無で、遺体の顔は穏やかそのもの。
ただ眠っているだけにも見えた為か、立ち会った生き残りの1人は
「おい、総員起しだ。皆起きろよ、起きてくれよ」
と、泣きながら戦友の遺体を揺さぶった。

後に艦内から見つかった遺書には、
「訓練にて死するは誠に残念なり。しかし今はあらゆる努力をなしたれども刻々浸水
するのみ。最後までがんばる。」
「死に直面して何と落ち着いたものだ。冗談も飛ぶ。」
「もう総員起しは永久になくなったね。」
と書かれていた。
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