Walkin' Around増刊号アーカイブス

あなたの涙腺と表情筋に挑戦し続けるblog。

[05/05/15-23:56]

間に合った、ことば。


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795 :774号室の住人さん :2005/05/06(金) 21:10:27 (p)ID:0r9ZfEh+(7)

・・・俺も書きたい。
言えなかったからせめて、ここに書いて形にするよ。

おふくろに謝りたい。

おふくろにありがとうって言いたい。

いろんな人におふくろの素晴らしさを知ってもらいたい。

・・・おふくろに言いそびれたことがいっぱいあるんだ。ほんとは
おふくろの意識があるうちに、おふくろの声がでるうちに、おふくろと
話ができるうちに話したかったんだけど・・・

乳癌がわかったのは確か・・・3年半ぐらい前か。
医者に

『よくここまでほっときましたね』

って言われてやがるし。
親父からその話を聞いたときは、内心かなりアセったよ。

『は!!!???何で?なんでウチが?なんでおふくろが?』

ってね。
でも正直ぜんぜん実感わかなかったよ。突然だったし。いつも笑ってて
元気で、「お母さんは不死身だから!」が口癖だったもんね。
もう人前で脱いだり水着になったりするような歳じゃないんだし、
『オッパイ片っぽ取ればイイんでしょ』ってなもんで。すぐ治ると
思ってた。ナメてたよ。
手術後もすぐ退院して調子よかったしね。抗癌剤やっても髪抜けんかったし。
特にいつもと変わらない生活だった。
『乳癌の場合は、取り除いて約5年間転移しなければ治癒とみなせる』
ってのは聞いてたけど、心配してなかった。

俺はバカだ。その時はぜんぜん気づけなかったよ。おふくろが精一杯俺らに
心配させないように振舞ってただけだったんだね。


医者にツッコまれるぐらいの癌だもんよ。そりゃ転移する方が現実的だよな。

脳の外部に転移したのは、乳癌発見の2年後ぐらいかな?
また親父に詳しい話を聞いたときは信じられなかった。
癌に関して俺はサッパリ知識なかったからさ。
癌は一度転移したら、一生治らない・・・死ぬまで転移し続ける・・・
・・・・・なんだよそれ。

その日から、安眠できることがほとんどなくなった。
おふくろが、もう長くない・・・

初めて不安になった。怖くなった。俺に何ができる?
おふくろのいない生活なんて全く想像できなかった。冗談じゃねぇ。
考えただけで気が変になる。
それにしても時間ってか癌はひでぇよな。無常すぎる。
それからものの数ヶ月で、あっという間に脳の3箇所に転移しちまった。


脳の手術自体はすぐ終わるらしいが、頭蓋骨に妙な装置をボルトで固定
するのがメチャクチャ痛いらしい。乳癌のときと抗癌剤の種類も変わり、
見た目にもすぐわかるぐらいむくみも目立ってきた。でもおふくろは、
「あんなに痛くても泣かなかったのよ!どんなもんじゃい!」とか
「太ってもキレイなお母さん!」
とか言って、笑って・・・
家族の前でだけは頑張ってるんだろな・・・と思ったら、俺らがいない時でも
「ほかの誰かじゃなくて、私でよかったわよ。」
なんて言ってたらしいね。おふくろの友達から聞いたよ。
全く・・・よくそんなコト言えるよ。どこまで強いんだアンタは・・・
精神的にも肉体的にも、誰よりも一番キツい立場なはずなのに・・・
そのとき決めたんだ。俺にできること。。。

笑っていようって。心配した顔ぜってぇ見せねぇぞって。
最後まではぜってぇ泣かねぇぞってね。
うちの家族の太陽だったおふくろみたいになってやるってね。
大変だったけど、頑張ったよ。
たまにおふくろがしんどそうなときも、兄貴が帰ってこなくて親父が
渋い顔してるときも、姉貴が泣いてるときも、
いつもおふくろの笑顔イメージしてさ。ま、男だしキャリアも違うから、
似ちゃいなかっただろうけどね。

やっぱおふくろの笑顔にはかなわないよ。
おふくろは世界で一番笑顔が似合うよ。
俺も、まだもっとおふくろの笑顔が見たいよ。・・・

・・・・・死なないでよ・・・・・・・

ホントに辛いよ。
おふくろはきっと俺の100倍は辛いはずだよ。
みんなこんなに辛い思いしてるのに、なんでどんどん悪くなってくんだよ。
今度は喉がおかしくなって。

最初は高い声が出ないとかゆう程度で、みんなカゼかと思ってたんだけど、
薬飲んでも耳鼻科行っても治りゃしねぇ。
俺は大学生で一人暮らしだったから、マメには様子見に行けてなかったけど、
10日ぶりぐらいに、そろそろ良くなってるだろうと思って電話したら、
回復どころかメチャクチャ悪化してて、さすがに気が動転したよ。
知らん人が出たのか?電波状況が悪いのか?ってぐらいひどい声で、
聞き返そうにも咳がすごくて聞き返せなくて。全く会話にならなかった。
しまいにはどんどん声出なくなってって、飲食もできなくなって。
結局癌が原因ってことで数日後には即入院。去年の1月半ばか・・・

入院後もぜんぜん良くならなかった。いくら検査しても癌が見つからないらしい。

2月21日の夜、とうとう意識朦朧状態になったと親父から連絡がきた。
ここにきて初めて、癌が脳髄膜(脳を包んでいる液体)に転移していたと
いうことがわかったらしい。髄膜には抗癌剤が効かず、ひたすらむくんだ髄膜が
喉の神経を圧迫していたとかなんとか。
次の日学校をサボって、地元の病院に行き、おふくろの病室に入った。

喉に穴をあけて酸素吸入のチューブがついている。
何種類もの点滴がぶら下がっている。
片目が開いているが話しかけても反応はない。
左手が規則的に同じ動きをひたすら繰り返している。
・・・まるで、機械が故障したような状態だった。

泣きそうになった。
『意識が無くても声は聞こえてるもんだから、話し掛けるといい』
というのはよく聞くが、泣くのを堪えるので精一杯で、一言も話しかけて
あげられなかった。


どうやら髄膜炎というのは、治療法は全脳照射しかないらしく、それは
他の関係ない神経まで傷つけてしまう恐れがあるハイリスクなものらしい。
家族で話し合った結果、
『もう治療はしない』
ことにした。もう・・・・・ダメなんだ・・・・・・・

正直、この入院で最後になるとは思わなかった。まだ今回はとりあえず
持ち直して、喉も良くなって、家に帰ってくると思ってた。
怖かったんだよ。おふくろが死ぬ覚悟をするのが。弱ってくおふくろを
見続けるのが。こんなことになるってわかってたら・・・
こんなに後悔するってわかってたら、もっと会いに帰ればよかった。
もっと話ししとけばよかった。もっとおふくろのメシ食っとけばよかった。
もっとおふくろの頼み聞いとけばよかった。もっとおふくろ喜ばせるようなこと
すればよかった・・・・・
ごめんね・・・

最後までおふくろの笑顔に甘えさせてもらってたよ・・・・・
ホントに、ごめん・・・・・


799 :795 :2005/05/06(金) 21:19:09 (p)ID:0r9ZfEh+(7)

24日に、完全に意識が無くなった。末期らしい。

呼吸停止、心停止の場合どうするかという話をし、
『蘇生しないのに無理矢理生かすのはやめよう。母さんがもう疲れたってゆう
ことだから。もし病院に誰も身内がいなかった時のために、30分だけ
延命処置(人工呼吸だけ)をしてもらって、30分経ったらもう休ませてあげよう』
ということになった。
その日、俺はおふくろに精一杯の気力で話しかけた。
「MD聴く?俺が参加してるバンドのライブのMD。」
元気な声なんて出やしない。
呼吸しかしていないおふくろにMDを聴かせた。
反応も全く無いが、続けて話しかけた。
「近いうちこのバンドでレコーディングして、CD作ろうってメンバーで
話しててさ。・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・それまで、待っててほしかったんだけどね・・・・・」
これしか、喋れなかった。たまらず、逃げるように病室を出た。
あれ以上あの場にいられなかった。

最後におふくろとマトモに会話できたのって、いつだったっけ・・・


2月25日、兄貴と姉貴は仕事を休み、俺も学校を休んで兄弟3人で
昼頃から病院に行った。音楽を聴かせたり話掛けたり・・・
みんなで、空元気を振り絞って過ごした。
夕方になって、急に呼吸の回数が少なくなってきた。度々ナースコールを
押して、様子を見てもらっても良くならない。
そして18時、呼吸が完全に止まり、医者の手による人工呼吸が始まった。
急いで親父に電話をしにいくと、たまたま仕事を早く切り上げて、もうすぐ
病院に着くところまで帰ってきていた。
18時15分、親父が病室に到着した。
みんなただ突っ立って、黙って人工呼吸を見ていた。すると医者が、
「どうぞ。手とかお顔とか触って差し上げてください。」
と勧めてくれた。俺はベッドの右側にしゃがみ、おふくろの右手を両手で
力いっぱい握った。ものすごく、熱かった。最後の命の炎が、メラメラ燃えてた。
その時、俺は初めて泣いた。やっと泣いた。もう抑えきれなかった。
声には出せなかったが、恥ずかしくてずっと言えずにいた言葉を、
もったいぶってずっと言わずにおいた言葉を、
怖くてずっと言いたくなかった言葉を、やっとおふくろに言った。
『みんな揃うの、待っててくれたんだ・・・
 
 お疲れさん・・・
 23年間、ほんとにありがとう・・・
 ゆっくり、休んでね・・・
 
 でも・・・さびしいよ・・・・・』
23年間で一番、心の底から出た言葉だよ。
言うのが遅くなって、ごめんね。
ありがとう。

18時32分に、心臓が止まった。

聞こえてたかな?
あんなので伝わったかな?
こんな俺が息子で幸せだった?
俺は、あなたに産んでもらえて、幸せです。
俺は、あなたの息子になれて、幸せです。
本当にありがとう。

親父はとうとう泣かなかったよ。少なくとも俺らの前では一度も。
あれから一年ちょい経ったけど、未だにね。さすがだよ。
けどホントは親父が一番辛いのは、ちゃんとわかってっから。
ちゃんとみんなに心配かけないように、支えられるように、
よく笑ってるよ。
でもやっぱ、まだたまにキツい。
こんなバカ長い文が書けるぐらいだもんね。まだ引きずってるイイ証拠だわ。

死なれても親離れできてないなんて恥ずかしいけどさ。
一生忘れないよ。頑張るから、ちゃんと見ててよ?


こんな長い文、最後まで読んでくれた人いるかな・・・?
省略されまくりだし、途中から『続き』って入れるのも忘れたし。
読んでくれた方、本当にありがとうございます。
家族を全力をもって愛してほしい、感謝の気持ちを素直に伝えてほしい、
辛いときこそ、笑顔で支え合える強さを持ってほしい、という気持ちが
少しでも伝わったら嬉しいです。
長さは人によって違いますが、過ごせる時間は限られています。
最後にできるだけ悔いが残らないように、幸せを感じられる心を大事にして、
イイ日々を、イイ人生を送ってください!

やっぱ、楽しくなきゃね!

最後まで長文スマソ。
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※このエントリはコメントスレ>>906氏の
 情報を元に作成されました。情報誠にありがとうございます。

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Posted by 神谷 at 23:56





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