鳴らなかった携帯電話。
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223 名前:saba投稿日:03/05/23 02:16
就職して2年。あれは、
まだ、携帯電話が今ほどみんなが持っていなかったころ。
(普及率は一割も無かったのだ)
正月の休みに実家に帰った時、
伯父の家で一緒に住んでいたばあちゃんに正月の挨拶をしに行った。
戦争の前後には、じいちゃんと上海に居たとかで、
あちらでは、そこそこ羽振りが良かったらしいが、
戦後の混乱とその後の大地震でかなりの波乱の人生であったようだ。
僕らがうまれたころは、かなり、貧乏になっちゃったけど、
町を歩いていても、隣を歩く人に負けたくないと、足早に歩いていた、ばぁちゃん。
上海に居たころ、人力車を引く人に馬鹿にされてなるものかとけんかした話とか、
負けん気の強いばあちゃんは、
多少調子が悪くても着物を着こなして正座をしてちゃぶ台の横に座っていて、
いつも、気丈に振舞っているばあちゃんのことがとっても好きだった。
そんなばぁちゃんが、「すこし調子が悪い」と聞いてはいたけれど
、正月の挨拶に孫が着てるのに、布団から出てこないのにはかなり驚いた。
多少、調子が悪かろうが、自分を含め、家族にも、
そんなことを見せるような人では無かった。
枕もとに行き、「ばぁちゃん、ひさしぶり」といっても、覇気が無い。
あんまり話もできないまま、東京に戻ってきた俺は、
その足で携帯電話を買いに行った。
いつでも、連絡してもらって、
絶対、ばぁちゃんの死に目には間に合うように連絡してほしいと。。。。
でも、願いはかなわなかった。連絡があったのは、会社に行く直前。
ばぁちゃんが死んだという知らせだった。
確かに、ばぁちゃんが病院に運ばれたのは電車も無い時間で間に合うことは無かった。
でも、せっかく買った携帯電話も間に合うことは無く、
とても残念というか自分の無力さを知った気がした。
ばぁちゃんの葬儀に出るために、会社を早退して実家に帰ろうとしたが、
全く気が動転しているようで、山手線で東京でありるはずが、
上野を通り越して鶯谷でやっと乗り過ごしていることに気が付く始末。。。。
結局、事故があったか何かで
たまたま遅れていた新幹線で新大阪に着いたのはすでに日付を超えていた。
車で迎えに来た親父とちょこちょこ話をして、
ばぁちゃんが自分で救急車を呼んでくれと言ったというのを聞いて、泣きそうになった。
血栓ができて痛かったらしいのだが、
見舞いにきていた伯母さんが、
「救急車呼ぼか?」
と聞いたら、
「うん」
と言ったらしい。
あの、ばぁちゃんがそう言ったとすれば、
よほど痛かったに違いないと思うととてもせつなくなったし、
なにもできなかった自分が悔しかった。
葬式が終わって、会社に戻ってきたら、
ちょうど3ヶ月の海外出張からもどってきた同僚が言った。
「あ、携帯買ったんだ。いいなぁ」
って。おれは、涙が出そうになるのをこらえながら、
「あぁ、役に立たなかったけどね。」
それ以上、話を続けることができなかった。
葬式に出ている最中より、役立たずといわれているようで辛かった。
もちろん、同僚にはなんの罪も無いのだが、一番聞きたくない言葉だった。
長文、すまん。
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Posted by 神谷 at 22:57
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