Walkin' Around増刊号アーカイブス

あなたの涙腺と表情筋に挑戦し続けるblog。

[04/11/21-01:02]

たった一度の親孝行。

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274 :名無し物書き@推敲中? :04/06/13 11:29
いわゆる不義の子であった。

お妾さんと呼ばれる立場の女性が母親で、父を知らずに育った。

もちろん父親のいない子どもに、世間が冷たかったのは言うまでも無い。
母親は芸事で身を立てていたので、子どもを顧みる余裕など無かった。

小さい男の子は、何とかバカにされないように、いつか世間を見返す為に、と頑張った。

もともと聡い子どもであった彼は、学業に身を入れた。
「知識」というものは裏切らない。本の中には色んな「世界」があった。勉強は楽しかった。

優秀な成績で学校を卒業し、母親譲りの朗々とした声と、立て板に水を流すような明快な弁舌を活かし、法曹界を目指した。
母親の芸妓の世界が「裏」のルールの世界だったから、余計に「表」の世界のルールに憧れたのかもしれない。
そしてめでたく弁護士の資格を手に入れた。

一本立ちした頃に、ある女性と知り合い、結婚した。
弁護士になれたとはいえ、まだまだ薄給である。結婚当初は何も無かった。
彼女が持ってきた鍋と、自転車が唯一の財産だったという。

間もなく娘が産まれた。
そして息子も産まれた。

男は子煩悩であった。
どんなに忙しくても、子どもとは遊んだ。
休日には庭に手製のブランコを作り、クリスマスには子どもを上手く騙した。
子ども達は長いこと、サンタクロースの存在を信じていた。

動物園が好きで、よく子ども達を連れていった。
あまり頻繁に連れて行かれるものだから、子ども達は動物園を嫌いになった。


経済的にも余裕が出てきた頃、末っ子の娘が産まれた。
男は仕事に余裕が出てきた事もあって、余計にその子を可愛がった。
末っ子の娘も、父が大好きだった。

おしゃれで粋で、頭の回転が速く、冗談が好きな父親が、幼い娘には何より頼もしく見えた。


男は事務所を作り、企業顧問の弁護士となった。
親類が興した小さな会社の役員にもなった。

末っ子に物心がつくころには、男の家は裕福になっていた。

子ども達は順調に大きくなっていく。

彼の仕事量は増えていき、忙しくなっていったが、動物園好きは相変わらずだった。
上の子供達と違い、まだ小学生の末の娘だけは動物好きで、何度連れていっても喜んだので、時間があるときは必ず動物園に行った。


動物の中で、彼が一番好きだったのはライオンだった。
娘も、大きな金色のネコのようなライオンが好きだった。

「雄のライオンは凄いんだぞ。いつもは寝てばかりいるけれど、いざってときは強いんだ。百獣の王なんだ」

見てきたように、彼は得意げに娘に話した。
娘は、いつも適当に受け流していた。
相手をしていると、いつまでも父親がライオンの話をし続けるからである。
退屈そうな娘の顔を見て、彼は残念そうにライオンの解説を止める。

それでも、彼はいつまでも飽きずに、黙ってライオンを眺めていた。


その日も、冬の寒い日だったが末っ子を動物園に誘った。
動物に興味のない母親も、珍しく一緒に付いていくと言う。
きっと上の娘も息子もスキー旅行に出掛けてしまっていて、家に一人いてもしょうがない、と考えたのであろう。

帰りが遅くなった。
「裏道を通って帰ろう」
そう言って男は、車のスピードを上げた。



細い道から急に出てきた車が、横っ腹に激突したらしい。
「らしい」というのは目撃者がいないからである。
ぶつかってきた車の運転者も、即死に近かった。


車はガードレールを越えて、崖に落ちた。
大した高さの崖では無かったが、車が転がり落ちるくらいには高かった。

どういうわけか、救急車が駆けつけたときに、母親の遺体は崖の上にあった。子どもは呆然とその傍らに立っていたそうだ。

「娘さんが背負って上まで運んだとしか考えられないですね」
後にそう警察は言った。
「小学生なのに、がんばったね」
そう言われても、末っ子は全く憶えてなかった。

男は車の中からは出たらしいが、その姿のまま、こときれていた。

「たぶんお父さんが、お母さんとあんたの事を、外に出したんだと思うよ」
だいぶ経ってから、長女が言った。

狂乱状態の私と、生きているかもしれない妻を、何とか外に出してから、死んでいった。


最期まで格好をつけた男だった。

私の父の話である。

死ぬまでに意識があったのだとしたら、何か私に声をかけたんだと思う。
きっと名前くらいは呼んだだろう。私の名前を、「ちゃん付け」や愛称ではなく呼んでいたのは父だけだった。
残念な事に私は憶えていない。親不孝な脳味噌だ。

憶えているのは、凍てつく風の中、動物園で柵に乗り出すように、ライオンを見ていた父の姿だ。

父は子どものように、「かっこいいなぁ、すごいなぁ」と、何度も繰り返して言っていた。

私も、その日だけは何故か、いつまでもライオンを眺めていた。
「すごいね、すごいね」と、何度も返していたのを憶えている。

父はその同意に、満足そうに頷いていた。

父に親孝行をしたのは、たった一つ、その事だけだった。
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Posted by 神谷 at 01:02





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