[05/08/27-20:29]
文官出身で軍事的才能を持った人をあげてゆくスレ(世界史)
いわゆる、文武両道と言う奴ですかね。
1 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/12/28 19:25:51
最近話題のアレキサンダーの書記官エウメネス。
来年話題のローマ皇帝ユリアヌス(塩野さんの本が出るから)。
もともと文官、または軍人ではないのに、軍事的才能を発揮した人って
結構いると思います。そうした人物を挙げるとともに、なぜそのようなことが
できたのか、の検討もしていけたらば。
2 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:04/12/28 19:38:50
とりあえず、田単は必須でしょうね。
ハングル制定に貢献した学者の一人で、来日して『海東諸国紀』を著した申叔舟
は李朝には珍しい二度の外征(女真征伐)で兵を率いていますが・・・
理由となると、さて。
3 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/12/28 19:41:06
フランス軍、アメリカ軍を散々の目に遭わした、ベトナムのボー・グエン・ザップの前職は中学校の先生。
4 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/12/28 19:48:08
ビザンツのナルセスは確か宦官だったな。若い頃は何してたんだろう。
5 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/12/28 21:40:53
鄭和
6 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:04/12/28 22:37:21
恐らくスレの趣旨とは違うんだろうけど、王族にはこの手の人は多いよね。
例えばビザンツのバシレイオス2世は、皇帝の子供として生まれ、ぬくぬくと育ち、武人としての訓練をしたようにも
見えないのに、戦場へ出て行って軍の指揮をした。ただし、彼が名将だったとか、彼の配下に名将がいたとかは聞かないが。
ただし遠征中は兵士と同じ待遇ですごしたために、兵隊の受けはよかったようだが。
多分上杉謙信タイプというより、武田信玄タイプだったのだろう。
ローマのセプティミウス=セウェルスもこの手の、役人上がりの皇帝だが、軍を率いたタイプ。とはいえバシレイオスと同じで
作戦や戦略という、戦上手という印象はない。統率者として優れていたから、勝った、ということなのだろうが。
スレずれすまん。
9 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/01/02 21:58:20
?艾、優れた農政家であり、運河の開通やそれに伴う灌漑工事などに優れた才能をみせる。
しかしそれ以上に軍事の天才でした。
10 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/01/02 22:03:37
サン・ジュスト
ランス大学で法学士の学位をとり、公証人の書記として見習い奉公。
フランス革命勃発時は不良文学青年。
1792年9月、25歳と1週間で国民公会議員に選出された。
派遣議員として前線での功績大。武官としての能力には諸説あるが、
「勝利の組織者」カルノーに次ぐと評されている。カルノーと軍事を
論じて大喧嘩したというから、能力があったのだろう。
いくら演説うまくても、軍事について馬鹿なら相手にしてもらえまい。
11 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/02 23:10:45
大村益次郎はいいのか?
医者出身の技術屋だが。
靖国神社に像がある人ですね。元々は村医者だった記憶が。
12 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/01/02 23:17:45
謝艾(東晋十六国)
主簿(文書の管理者、書記)から将軍に大抜擢
華北統一を目論む後趙の大軍を破り、前涼の滅亡を救った
列伝立てられても良さそうなんだがね
最後は政変であぼーんしたのが印象を悪くしているのかな?
アルキメデスってどうよ?
13 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/03 00:20:13
革命期って多いんじゃないですか?
>>3、>>10、>>11 なんかそのパターンだと思うけど。
有名どころではクロムウェル。
軍歴無しの郷紳出身で、ジョン・ピムの片腕として議会内工作を行ってた議会人だったけど、
コミッサールみたいな仕事してるうちにずるずると軍人になる。
14 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/03 16:46:48
ミハイル・ワシリエヴィッチ・フルンゼ
学生革命家から革命戦争の司令官になった。
しかし、彼は軍隊経験はほとんど無く、軍事理論を監獄生活の中で独習したらしい。
最後はスターリンによって粛清。
19 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 13:41:53
石田三成も「軍事的才能」はあったんじゃない?
機を見るという決定力が欠けていましたけどね。
あんだけの軍勢をあの布陣させただけでも一大人物でしょう。
23 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/01/19 01:46:00 0
>>19
石田三成は軍事的才能はゼロです。
武将として2度戦に出ていますが、たいしたことない相手にコテンパンに負けました。
おまけに、そのうち1度は水攻めをしようと土手を築いたら、大雨で水が逆流して
自分の陣地が水浸しになったという悲惨な負け方です。
関ヶ原で負けたのも、戦を知らないやつが威張りくさって、という反感が大きかった。
島津なんか特にそうで、偉そうに指図するなってんで、全く動かなかった。
26 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/19 04:04:01 0
>>23
忍城の水攻めについては秀吉が慣れないことさせたから悪いんじゃね?
主戦力が裏切ったり、日和見を決め込めばなんだって負けるだろ。
27 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/19 06:19:06 0
裏切られたのは器量不足だろ。小説じゃないんだから、勝てる方につくだろ
28 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/19 07:05:24 0
秀秋のねねとの関係(ねね=東軍派)とかから考えて、
心は東軍にあったと見てもいいんじゃないの?三成を恨んでもいたろうし・・・
秀秋が動けば日和見を決め込んでた脇坂ら雑魚も動くし、
広家が弁当でも暢気に広げてれば長宗我部勢らは動けん。
三成より総大将を安請合いした挙句に家中を纏められなんだ輝元をイビりたいな、俺は。
20万石程度でその10倍の石高の大御所と決戦するお膳立てを纏めた手腕は、
非凡なものだと思うぜぁ。
29 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/01/19 10:51:11 0
最近の研究では、北政所―石田・小西派、淀殿―加藤・福島派だったと思い
ますが、参考になりそうな本が手元にありません。
>20万石程度でその10倍の石高の大御所と決戦するお膳立てを纏めた手腕は、
「お膳立て」だけなら同意。用意する役としての才能は非凡です。
30 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/01/19 19:29:44 0
もともと兵站・後方支援の才能はあった人だからな。
31 名前:永遠の青 ◆pkFA3D428. [sage] 投稿日:05/01/19 20:09:27 0
>>23
関が原で最後まで奮戦したのは三成隊なんですけどね。
それも正面に何倍もの兵力を引き受けて戦い続けました。
配下に名のある武将を多数抱えていたと言っても、
三成に将才が無かったら、あっけなく崩れ去りますよ。
どんな精鋭でも、能無しに指揮されたらあっさり崩れますからね。
関が原で軍が動けなかったのは、家康が根回しがうますぎたからで、
別に三成の無能のせいではありません。
また、西軍の将には三成と同格以上の人間や気心の知れない人間が大勢いて、
好きに指図できる状態じゃありませんでした。
そもそも、西軍の総大将は毛利輝元なので、三成の指揮権と言うのは、かなり微妙なんです。
まともに動く兵が圧倒的に少ないのに、全軍やる気満々の敵軍と戦って、
小早川の裏切りまで押してたんですから、関が原の三成は良く戦ったとは言えるでしょうが、
軍事的才能が無かったとは誰も言えないでしょう。
最高の布陣をしたとは言え、まともに動く気の無い部隊が多すぎるので、
愚将が同じ条件で戦ってたら、両軍が接触した瞬間に、
西軍が崩れてるほどひどい条件ですよ。
話は変わって、中国には文官出身の名将なんていくらでもいるんですが、
誰か一人あげろといわれたら、袁崇煥でしょうね。
中華王朝の開祖の中で唯一戦死したのはヌルハチ。
そして、おそらく最も戦争がうまかったのもヌルハチ。
ヌルハチを殺して、ついでに後継者のホンタイジまで破ってます。
活躍した期間は短かったが、インパクトで彼を推したいですね。
37 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/20 12:08:17 0
文官ていうか軍事的アマチュアにチャンスが与えられる
(そしてそこから逸材が出現する)かどうかって、
広い意味での文民統制の問題だろ?
中国王朝とか、ビザンチンの宦官ナルセスなんかの事情てーのは、
軍閥の出現を恐れた皇帝サイドの意向が関係してるのだろうし、
革命期特有の事情てーのは、既存の暴力装置(=将校団)の信頼のおけ無さてのがあるだろう。
だから政治委員みたいなお目付役を派遣したり、アマチュアを将校にバッテキしたりして、
そん中からすごい逸材が出現することもある、と。
38 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/23 08:12:39 0
大平天国の乱を平定し、その後の洋務運動を担った曾國藩と李鴻章。
彼らは故郷の子弟を募って、それぞれ湘軍・淮軍と呼ばれる私軍を組織する。
そうせざるを得なかったのは、清軍の中核である八旗が軍として機能していなかったから。
一から軍を組織せざるを得なかったという点でも、この二人は名将と呼んでも良いのではないか。
左宗棠も加えるべきか。
39 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/02/04 21:42:04 0
袁崇煥はすごいよ。イエズス会の宣教師のアダム・シャール(湯若望)
が設計・鋳造した紅夷砲という大砲を用いて、以前、サルフで明軍を
破ったヌルハチを砲煙の下になぎ倒したんだから。彼が清の謀略によって
処刑されてなかったら、明はもう少し長く続いていたはずだ。
46 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/08 02:57:17 0
英国東インド会社のクライブ。
プラッシーの戦いでインドの覇権を確実にした彼だが、
最初は東インド会社の書記で赴任したはず。
戦時に傭兵隊を組織してフランス&ベンガル領主連合軍を撃破しました。
48 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/03/10 11:48:08 0
正直なところ「体力ゼロ運動神経ゼロだけど戦略や戦術士官としては
超天才」()運動以外の分野も無能だとなおよし。一点突破型天才とでも言うのか)
という人に非常に憧れというか凄いなぁとおもうのですが
こういう人ってある程度bの家柄に生まれないと市井にうずもれるよね。
一兵卒としては使えないから出世もできない。
亡国でゲリラ戦展開してていつのまにか指揮官になってた
戦略戦術の天才(だけど運動音痴)の元コンビニ店員とか郵便局の受付とかは
じっさいにはいないだろうし。
49 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/10 17:09:54 0
>>48
>戦略戦術の天才(だけど運動音痴)
>の元コンビニ店員とか郵便局の受付
いやいや、乱世になるとそういう人材が
何の因果か時たま登場するので注意。
50 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/10 18:55:52 0
>>49
陳勝・呉広も、平和な時代なら土方で一生を終えていたはずだしな。
51 名前:永遠の青 ◆pkFA3D428. [sage] 投稿日:05/03/10 23:08:51 0
>>48
インドネシア独立戦争の英雄スディルマン将軍は、
もともと職業軍人ではなく、体力・運動神経どころか、
重病に冒されていて、起き上がることも出来ないほどでしたが、
担架で運ばれながら指揮を執っていました。
あと、ロシア革命後の赤軍の将軍には、民間人あがりで政治活動で出世した後に、
将校不足で軍に回されて成功した人が結構います。
こういう人の中には、おそらく運動音痴もいたんじゃないでしょうか。
52 名前:永遠の青 ◆pkFA3D428. [sage] 投稿日:05/03/10 23:12:43 0
>亡国でゲリラ戦展開してていつのまにか指揮官になってた
>戦略戦術の天才(だけど運動音痴)の元コンビニ店員とか郵便局の受付とかは
>じっさいにはいないだろうし。
蜂起計画に関与するか、首謀者の腹心としてゲリラ組織の幹部の地位を確保していれば、
巡り合わせ次第で「兵卒経験が無くてもいきなり指揮官」と言う事も有り得ます。
53 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/03/11 11:21:55 0
>>51
そんなひとがなんでまた・・・
大村益次郎も運動音痴だったそうで。
なんかこういう話聞くと「ひょっとしたら俺も」とか思って燃えますよね
間違いなく思い過ごし気のせいなんですけどね
58 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/03/11 14:54:42 0
袁世凱。秀才出身の文官。
59 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/12 21:36:39 0
袁世凱に軍事才能あったっけ?
60 名前:永遠の青 ◆pkFA3D428. [sage] 投稿日:05/03/12 21:50:18 0
>>58
袁世凱は二回科挙で一次落ちして、軍隊に入りました。
そういうわけで、秀才の資格は持ってないはずです。
>>59
義和団の乱の鎮圧などで武勲をあげています。
軍事的才能が無かったわけでは無いと思いますが、
袁世凱は軍を率いる才能より、軍政家としての才能に富んでいたように思われます。
「軍人出身で政治的才能を持った人」と言った方が良いような気がします。
日本史で例えると、山県有朋でしょうか。
61 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/03/15 02:07:46 0
劉邦はあれ一応文官出身じゃないのか?小役人だが。しかも負けつづけだけど。
まぁ最後は笑ったということで。
日本史で悪いが家康はなんか武人って気がしないんだよなぁ
イメージのせいだろうけど。秀吉はまだしもノブナガなんか武将以外の何者でもない気がするし。
64 名前:永遠の青 ◆pkFA3D428. [sage] 投稿日:05/03/15 04:18:53 0
>>61
>劉邦
亭長は治安担当官ですので、厳密に文官かどうかといわれると、かなりグレーゾーンですね。
警察と軍事の境目が大分怪しい時代のことでございますので。
軍事的才能は、それなりにはあったと思います。負け続けたのは相手が悪すぎただけかと。
河南に項羽の主力を拘束し続けた劉邦の軍事的能力は、もう少し評価されても良いかと思います。
項羽の主力があそこで釘付けになっていなければ、
韓信の分遣隊の大活躍は無かったように思います。
>家康
17歳で初陣を果たし、死ぬ少し前まで戦陣にあった武人の中の武人なんですが…。
射撃と剣術の達人で、60過ぎても大鉄砲を振り回して狩りに出かけてた怪力自慢ですよ。
武人が策謀を使うと、文人のように表面を取り繕うことをしないので、
実情以上に陰惨に見えがちです。
家康は戦場でも、策謀の場でも、武人らしい武人であったと思います。
73 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/20 22:51:17 0
聖徳太子。
物部の乱の時、劣勢でうろたえる蘇我、泊瀬部(後の祟峻天皇)軍を
四天王の加護があると叱咤激励し士気を高揚させて勝利に導く。
このときまだ十四歳だった。
74 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/03/21 00:55:21 0
平安時代初期までは「桓武天皇」に見られる通り「武」も尊重されていましたし、
「聖徳太子」の実像もほとんど判りませんが、中世の例では武士の子は未熟な
がらも13歳前後で戦の庭に出ているので、不可能ではありませんね。
10世紀以降、兵・武士の家が成立してから「活躍」したのは・・・
藤原保昌・橘則光・二階堂行政・北畠親房あたりでしょうか。
承久の乱などで討死した手合いも含めれば、もっと多い。
大抵一代限りの仇花でしたが、中世までは貴族と武芸はよく関係しています。
75 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2005/03/21(月) 06:50:54 0
北畠は上手いこと公家が武家かした例だよな
結構長い間持ってるし。
土佐一条とかは微妙
76 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:2005/03/21(月) 10:48:57 0
10世紀になってからは、家業が固定化し、「兵の家」出身の軍事貴族(と
言ってもせいぜい諸大夫ですが)でなければ殺生を行い、武芸に励むべきで
はないと考えられる様になります。
もっとも『中外抄』には、関白が弓馬に励んでいた事が記されており、どの
程度を以って判断基準としていたのか、少々分り難いのですが。
時代はかなり下って『徒然草』にも、弓馬の必要性を説いた一説があります。
(この時代までなると、また価値観は異なっていそうですが)
ただ、某の代になって突然武芸に励んだからといって、「武士化」した訳で
はありません。公家は武装しても公家です。
81 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2005/04/10(日) 14:10:00 0
秦の章邯あんま出てないですね。。。
彼こそホントに名将だと思いますけどね・・・
その凄い章邯の攻撃を農民とか流民なんかの雑軍で2ヶ月も耐えた陳勝軍の
周文も相当な名将だと思います。
周文も前職は占い師だったそうですし。
89 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/04/12(火) 10:23:25 0
ヤン・デ・ウィット
オランダのホラント州法律顧問。
英蘭戦争の時のオランダ側の中心人物。
特に第二次英蘭戦争では、イングランド本土への直接攻撃「チャタム基地襲撃作戦」を
立案し、オランダを勝利に導いた。
ただ、第三次英蘭戦争では政敵ウィレム3世との政争に敗れて民衆によってなぶり殺しに
されてしまったけど・・・
95 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/04/16(土) 02:04:44 0
中国は大昔から文官が軍を率いることが多かったからきりがないワナ。
逆に、日本では明治に"civilian control" の概念が入ってきても理解出来なかった。
何しろ、鎌倉以来ずっと武官が算盤はじいて、帳面付けてた国だから、
「文官て何?」だった。
現在の日本では、防衛庁長官は文民でないといけないという事になるので、「文官出身で軍事的才能に優れた人」がいないと困るわけですが・・・どんなものなのですかね。まあ、良く分からない状態が続く事にこしたことはないですけど。
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