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タイトルスレイヤーズに関する一考察

04/11/25
今、ライトノベルが主としてターゲットとしている層(つまりは中高生)の、それなりにライトノベルを読んでいる人々に、スレイヤーズ第一巻を読ませた時、返ってくる言葉は「面白い」だろうか?

おそらく答えは否だろう。

良くて「多少読みやすいが、そこら辺に転がっているライトノベル」程度といったところか。

・・・素晴らしいとは思わないだろうか?
スレイヤーズが出版されたされたのは1990年1月である。
それからたった15年で、スレイヤーズは「そこら辺に転がっている」黴の生えた一品に成り下がったのだ。
それが一過性のブームの産物であるならば、それも有り得るだろう分からないではない(21世紀になってから出たにも関わらず、既に化石と化したものなど枚挙に暇が無い)。だが、当時から現在までライトノベルは市場として存在し続け、むしろ隆盛を誇ってさえいる。

ならば、スレイヤーズに黴が生えた理由は明白だ。
その存在が余りにも大き過ぎた為、その影響がライトノベルという分野全てに拡散し、その結果、「どこにでもあるもの」に成り下がった、という事に他ならない。
ならば、何故スレイヤーズがそこまでの影響を持つに至ったのか。
それについて、まず、考えてみたい。


スレイヤーズがそこまでの影響を持つに至った理由は、おそらく当時の状況にある。
当時、日本にはSF関連の賞はあっても、ファンタジーのみを対象として与えられる賞が存在しておらず、また存在していたSF関連の多くも、日本SF大賞や星雲賞に代表される、その年の出版物から選定される、という形式であった。
その状況下で、新人の発掘を目的とした富士見ファンタジア長編大賞は、新人を対象としているが故に、日本のファンタジーの未来を決定付けうる位置に「出現」したと言える(注1)。
つまり、それ以外に新人が応募できるファンタジー関連の賞が無い以上、そこで最も高い評価を受けた作品がその趨勢を決め得た、という事である。

それまで日本に存在していたのは殆ど全てがハイ・ファンタジーであったというその状況を鑑みるに、その応募の多くもまた、ハイ・ファンタジーで占められていたであろう。
しかし、その中で、最も高い評価を受けたのが、ハイ・ファンタジーの視点からすれば明らかに「キワモノ」でしかないスレイヤーズであった、という事実は衝撃と共に受け取られ、それは結果として、ライトノベルというレーベルを定義するものであったと考える(注2)。

さて、キワモノを真っ向から是としたならば、それに続くのはそのキワモノに追随するものである(注3)。
翌年以降圧倒的にライトノベル的(当時そんな言葉は無かったが)な作品が応募作を占めたであろう事は想像に難くない(注4
そしてその結果、ライトノベルという分野の基礎が確立されたと考える(注5)。


さて、これまでスレイヤーズがライトノベルに与えた影響(注6)を述べてきた。
ならばスレイヤーズそれ自体が「キワモノ」である理由はどこにあるのか、そしてそれが何故キワモノとして認識されたのかについて、これ以降述べていきたいと思う。

スレイヤーズについては、しばしば「コンピュータRPGの普及が大きい」という評価を目にするが、これは一部では正しく、一部では誤っていると考える。
確かにスレイヤーズ第一巻における世界説明の乱雑さ、つまり「大体読者が想像するファンタジー世界」的なものを前提とした語り口は、確かにコンピュータRPGの普及によって成立したと言える。
だが、同時に二巻以降、登場人物(主にガウリイ(注7))の口を通して世界観の説明が為されることで、その影響は確実に低下していく事となり、最終的に構築されたものは、人間と魔族の関係においては当時の多くのコンピュータRPGのような単純な二元論では成立できないものに変貌し、世界観それ自体はハイ・ファンタジーとしても成立しうる、十分な説明が為されている(世界は混沌の泥の上に浮いている、等)。
ならば、スレイヤーズがそれでも尚キワモノとして認識される理由は何であろうか。
それはおそらく、「盗賊いぢめ」に代表される、ヒロイックファンタジーの否定であろう。
そしてその影響の根源を更に探れば、その根源はテーブルトークRPGに到達せざるを得ない。


1985年6月、日本のTRPGにおいて一つの節目が訪れる。

Dungeons&Dragons ベーシック・セット

英語版4th editionを日本語化した、このセットの発売が、日本におけるTRPGの普及に大きく貢献した事は言うまでも無い。
それを更に推し進めたのが、1986年8月からTRPGとD&Dを紹介するための戦略として用いられた、コンプティーク誌上での「リプレイ」という新しい形式であり、そして、そのシナリオとして用いられたのが「ロードス島戦記」である(注8)。
リプレイは第三部を以って終了したが、そのリプレイを用いて、今度はノベライズ版(と言っていいのか)ロードス島戦記が1988年以降、水野良により執筆される。
この水野良によって書かれたロードス島戦記は、リプレイからプレイヤーとしての部分を完全に差し引いた、シナリオとその上でのキャラクターの行動のみを抽出した、言わばゲームマスターとしての視点から書かれており、そしてそれは、完全にヒロイックファンタジーの文法に則っている(注9)。

これに対してスレイヤーズの視点は、TRPGにけるプレイヤーの視点から見たシナリオを、自分の感情を含めて書く、つまりリプレイにおけるプレイヤー発言やGMの感想をベースとして書いている。また同時にそれは、世界観やファンタジーに対するプレイヤーのツッコミであり、細かく上げるときりが無いが、例えばヒロイックファンタジーでは敢えて無視される、金銭事情などにそれが表れている。TRPGであれば報酬の交渉は基本であるし、生活費は当然支払わねばならない。姫を助けるといった非常に英雄的な行動でも、そこには報酬がついてまわり、名誉よりも明日のメシの方が重視される。
それに対し、ヒロイックファンタジーにおける主人公は常に名誉と誇りを重んじ、金銭に執着せず、極めて高潔な人物として描かれる事が多い。しかし、この場合常に付き纏うものとして、名声を得るまでには、如何にして生活しているのかについての描写を避けるという傾向がある。
酒場に行けば当然支払いはせねばならないし、宿も無料ではない。しかしそういったものを極力切り捨てる傾向がある。
それはロードス島戦記においても例外ではなく、金銭の困難性に関する記述は極めて短く、「持ち合わせもあまり無い」為「お世辞にも上等な宿屋とはいえ」ないところに泊まった、という一文が出てくる程度。
その直後、探索の結果発見した国王暗殺の計画書の報酬として金貨1000枚と同時に発見した宝石類で600枚を受け取った後は王女救出後に「重そうな布袋」を受け取ることで、それ以後の生活費その他についての記述の一切を行っていない(注10)。
そして主人公たるパーンも、ヒロイックファンタジーの文脈に則り、金銭よりも名誉を重視する人物として描かれており、金銭に関する役目は盗賊であるウッド・チャックに割り振られ、また汚れ役をも割り振られている。
それはおそらく英雄譚としてのセオリーなのであろうが、そういったヒロイックファンタジーに対してその対極の位置にあろうとしたのがスレイヤーズである。

何をどうやっても生活には金がかかる。そのための手段としてミッションをこなす。その最も手軽なものとして盗賊を狩り、金銭を代価として受け取る(注11)。向こうから依頼が来るわけではない以上、冒険者よりも旅人としての色合いが強い冒険譚では現実的で理にかなったサイクルであると言える(注12)。
こういった観点から考えてみると、スレイヤーズはつまり、我々の思う「旧き良き、素朴な中世」を否定し、またファンタジーという、それまで高尚であったものを否定し、風俗小説的な、人間の匂いのするファンタジーを成立させ、またそれを肯定させた作品と言えるのではなかろうか。
故に、これ以降、日本のファンタジーが如何なる方向へ向かおうとも、「スレイヤーズ」というファンタジー小説を無視する事は不可能であると思うのである。



ところで、あの時代について語るならば、フォーチュンクエストやらルナ・ヴァルガーやらについても言及すべきなのだろうが、流石にそこまで行くと本気で終わらなくなるので省略させていただいた。
ただ、この二者がスレイヤーズに届かなかったのは、フォーチュンクエストには読者に訴えるには素朴すぎ(毒が無い、気持ち悪いくらいに全てが善人)、ルナ・ヴァルガーはその文章自体が独特すぎたという事であろう。



注1:おそらく当事者にはその意思は無かったのであろうけれども。どちらかと言えば、ライトノベルが対象としたい年齢、すなわち中高生を対象として作品を選んだらこうなった、という事であると推測する


注2:また現状の一部の「SF者」がライトノベルを嫌う、その溝も、この時点で決定付けられたと考える


注3:雨後の筍。宇多田ヒカルに対する倉木麻衣、椎名林檎に対する矢井田瞳。そのうち方向性が変わってくる辺りも含めて。


注4:それでもキチンとハイ・ファンタジー系列からも受賞者を出している辺りは、ファンタジア編集部のバランス感覚とでも言うべきものだろうか。


注5:但しライトノベルが究極的には何でもアリになるには電撃文庫の出現を待つ必要がある。具体的には高畑京一郎及び古橋秀之の出現を。前者がメタとしてのファンタジーを、後者がサイバーパンク的なものを導入することで。


注6:今から考えればライトノベルを確立したと言った方が正しいか?


注7:「脳ミソスライム」等で呼ばれる事となったのはその副作用であろう。


注8:実はロードス島戦記ルールブックが誕生したのはこれより後であり、シナリオとリプレイから逆算してルールブックが成立したわけであり、言ってしまえば後付に近い。
また現在角川スニーカーあたりで出版されているロードス島戦記リプレイは、同じシナリオ(正確には小説版。第一部は英雄戦争前に終了した)を元に、ロードス島戦記ルールで別個にやりなおしたものである。それ故ギムやオルソンが生き残っており、またそのプレイヤーが「生き残ってもいいのか?」といった趣旨の発言をしている。

また、ここでロードス島戦記を挙げたのは、スレイヤーズと同時期に存在したハイ・ファンタジーであることが最も大きいが、同時に水野良と神坂一が、年齢が一つ違いで、どちらも関西出身という、殆ど同時期を似た場所で過ごしているという理由もある。ちなみにD&D日本語版発売当初、二人は21-2歳である。


注9:そもそもTRPGが英雄育成ゲームとしての側面を持っているのだから当然だが


注10:この金貨の額が非常にTRPG的であり、おそらく元のプレイでの報酬がこの額であった事を匂わせているように思うのだが、どうだろうか?


注11:盗賊狩りというそれ自体も、TRPGにおける最初のミッションのお約束がゴブリン狩りor盗賊狩りであることと無関係でもなかろう。また「悪人に人権は無い」とは極めてプレイヤー発言に近い


注12:そこで金がなくなったからという理由で農家の手伝い等をされて、さらにその描写を延々とされてもそれはそれで困るところではある。


以下に参考としたURLを挙げておく
日本における D&D® の展開
ロードス島戦記〜灰色の魔女〜(PC版)
スレイヤーズ(Wikipedia)






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Posted by rgy at 15:39