歌う脳髄

どうでもいい事について考える凡百blog

タイトルblogと馴れ合い

05/01/17
コメントスレッドにおける

Q:因みに、rgyさんと馴れ合える場所ってのは存在しますか?

A:ありません

というQ&A、及びから、blogにおける馴れ合いについて考えてみた。
そもそも、s03鯖には、他の多くのblogサービスでは実装されている「エントリごとに独立したコメント欄」が実装されていない。
その代わりに、2ちゃんねるライクな(昔はこういう書き方すると「あめぞうだ!」と怒られたのだが、それも今は昔。インターネットの栄枯盛衰ってエグい)掲示板が実装され、エントリからコメントを書き込むと、そのエントリタイトルが一行目に挿入される事で、そのコメントがどのエントリに関するものかを識別できるようになっている(正直、実物を見たほうが早いと思うが。ちなみにnullpo鯖辺りを見ると独立したコメント欄は実装されている模様)。

この質問をした人は、そのコメントスレッドを、その見た目が掲示板的であるが故に、そのまま掲示板的に使っていいのか、それとも完全にエントリに対するコメントに用いて、普通の雑談等を排除すべきなのか迷ったのだと思われる。
で、上記のように、あくまでコメントスレッドはエントリに対するコメントを書き込むところであり、しかも当方はそれ以外に当方と直接やりとりする場を設けていない事から、原則論的に「ありません」と答えた訳だ。
とはいえ、それはあくまで原則論であり、そもそも人が居ないので問題無いと言ったのだが。


さて、では、blogにおける馴れ合いとは何であろうか?
今でこそ日記的に用いられる事も珍しくは無いが、そもそもblogとは特定の事象に対する意見・情報を、エントリを用いて相互に交換する事を主たる目的とする(企業内blogなどはこの典型)、極めてドライなものである。

元々blogは全てのエントリが独立している事を前提としており、情報交換を目的としているが故に、多くのblogサービスで実装されているコメント欄は、対話・議論の為に存在する。
そしてこの一行レスによる対話・議論もまた、エントリごとに独立し、新しいエントリによって古いエントリが流されていくのと同時に流され、使い捨てられる。

馴れ合いにおいて重要となるのは、この「エントリとそれに付随するコメントは各々独立する」という概念である。
まず、blogに対する一般的な考え方の一つとして、

「コメント欄はそのエントリについてのみ語るべきである」

というものがある。
この考え方が一般的であるが故に、コメント欄では馴れ合いが発生しにくい側面があるように思う。

例えば、非blogのニュース・テキスト・日記系サイトの掲示板であれば、そのサイトに関わる事であればどれだけ古くとも話題とすることが許され、またそれに対するリアクションも十分期待できる。
これは言い換えると、blog系のコメントが記事単体に依存し、サイトそれ自体と切り離され、そのエントリについて以外の会話を拒否する印象を与えるのに対し、非blog系の掲示板とはサイト全てを含んで言及する事が許される、時間軸を横断し、言及する事が可能であり、それ故会話の幅が広がり、馴れ合いやすい環境であると言える。

では、blog系サイトの管理者その他と馴れ合いたい者は、どうしたのか。
簡易なWebサイト構築・更新ツールとしてのblogによって大量に発生した新規Webサイト開設者及び開設予備軍は、一つの手法を生み出した。
それが

「エントリ内で馴れ合う」

である。
しかし、多くの人間にとっては、流石に単なる馴れ合いをエントリとするのは抵抗があるため、その多くは主題となるエントリの一部に私信を書く、という形式を採る(大抵一番最後に付く。最初に来た場合は馴れ合いというよりもネタ元に近い扱いが多い)。
だが、エントリの一部を用いるが為に、今度は「私信を書くためにはエントリを上げなくてはならない」という因果の逆転した必要が生じる。
この要求を満たす為だけに無理矢理捻り出されたネタというものは、概して質が悪い(正確には凡百)。こういった事がそこかしこで繰り返されると、結果として大量の凡百なサイトが、完成されたキチガイテイスト溢れるサイトを覆い尽くす事になる(こういった場合にインターネットの公平性は裏目に出る)。

またエントリでの馴れ合いでは、掲示板でしばしば見られる「非常にダレたやり取り」というものがし難い部分があり、そのダレたやり取りが深める馴れ合いの代償として、「仕方が無いから」オフ会を実行している部分があるのではないかと思う。

まあ、オフ会というものが一般的な手段として認知されてきた、というのが一番大きい気もしてはいるのだが。

つまり、

馴れ合う為にblogがあり
馴れ合う為にどこにでもあるエントリが溢れ
馴れ合いの果てにオフ会があり
馴れ合いの結果、キチガイサイトが消えていく

という流れの上にあると考える。
そして、(blogに限らず)サイトを作る、という行為が一般化するにつれて、オリジナリティの無い、オフ会の名刺としてのサイトは増えてゆき、それが多くの目に留まることで拡大再生産を繰り返し、キチガイテイストなサイトが底に沈められていく事は止められないのだと思うのだ。

「オフ会の名刺としてのサイト」を別段否定するわけじゃないし、そんな権利も無いのだが、それでも、それは残念な事だと思う次第。
意識してキチガイやるのって相当キツイし。

といった感じに花魁発狂さんのオフ会への切符のようなサイトばっかりでキチガイズム溢れるサイトが減って来たという話に繋げて〆。



以下書きながら切り捨てた部分をだらだらと。

blogのコメント欄の常連には「なんとなく居着く」パターンは少ないように思う。
心底心酔した信者か、ヒット数の為にゴマすってるかのどっちかじゃなかろうか、と。
キッチリとその辺が証明し切れなかったので切ったわけだが。
ああ、ちなみにこのコメント欄ってのはエントリ付きのコメント欄の話な。

馴れ合う為にサイトを作るパターンも存在するし、それ以上に、作るだけ作って放置されてたサイトを復帰させて馴れ合うパターンもありそうな気がする。特に厨房に。
これも証明がキッチリ嵌らなかったので切り捨て

というか三日かかった割りにイマイチだな。
煮詰まった時点で諦めるべきだったか?

最後に軽く、当方の基本立ち位置について。
当方は、あまり馴れ合いが好きではない。
多少馴れ合う程度ならば構わないが、過度の馴れ合いが、好きではない。
馴れ合いが過ぎると、気分的に相手の言に対して疑問を呈しにくくなるし、それ以上に「第三者として煽る」という選択肢自体が消滅するのが、非常に哀しい、というただそれだけだが。
立ち位置というのは、面倒なものであるな。

という事を書いていたら色々思い出したので、次回更新では少し昔の話をしてみようかと思う。

時には昔の話をしようじゃないか 〜格闘ゲーム攻略サイト編〜

多分こんな感じ。
というかその当時からハンドルネーム変わってないので知ってる奴は既に知ってるんじゃないかと思うが。

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Posted by rgy at 02:54