歌う脳髄

どうでもいい事について考える凡百blog

タイトル「Webサイトを管理する」という事

05/01/20
さて、二つ前のエントリで「馴れ合いによって相手の言に対して疑問を呈しにくくなる」と書いたが、そういった状況は、一つ前のエントリ(格闘ゲーム攻略サイトをやってた頃の諸々)で書いたように、サイトの性質・管理者に求められているものによっても引き起こされる。
これらは「関係」の一言で説明できる。
馴れ合いは言わずもがなとして、管理者・サイトの性質とは、「相手が求める、サイトから受ける管理者の人格」という奇妙な要求から成立できてしまう関係である。

上述の例であれば、当方はあくまでも無個性で、礼儀正しく、当たり障りのない管理者である事が、サイトの性質、利用者、掲示板管理者全てから要求されており、そこから逸脱すれば、それを要求している全てに対して迷惑をかける結果となる。
ただ、それは複数人によって運営され、またポータル的な性質を持つ事を目的としていた、即ち、公としての性質を持つならば当然であり、そのことに関して別段当方に文句は無かったし、今でも妥当であったと考えている。

だが、完全に個人が運営するサイトでそれを常に実行するのは、果たして正しいのだろうか。
個人が運営するサイトは、その運営する個人以外の誰の為に存在するのだろうか。

しばしば、管理者サイドから「閲覧者の為」という言葉を耳にするが、そんな言葉は有り得ない。
Webサイトを持つ以上、そこには必ず何らかの目的が存在する。
全ての更新は、その目的達成の為の手段でしかない。
故に、更新によって利益を得るのは、更新した本人以外には有り得ない。
利益を得るのは、その果てにある目的を有する、管理者以外には有り得ない。
故に、閲覧者が利益を得る場合というものは、管理者の目的の為に採った手段が、閲覧者の(潜在的なものも含めて)欲しい情報と一致した場合という、偶然が生んだ幸福な状態であると言える。

よって、管理者サイドが時折口にする「嫌なら見るな」という言葉を、当方は支持する。
管理者にとって、そのサイトに載る全ての情報は、管理者の自分勝手な目的を果たす過程で生まれた副産物でしかない。
故に、そこに閲覧者の要求に沿う情報が無かったところで、管理者にはどうすることもできない。

Webサイトとは、場である。
閲覧者は、流れである。

流れは、幾つもの場を経由する事が可能であるが、場は、不変である以上そこからどこにも動けない。
即ち、流れは幾つもの場を経由する事を前提としている。
言い換えると、閲覧者は複数のサイトから適合する一を探し出す事を前提としている(この「複数」を出来る限り減らすのがパーソナライズ検索その他なのだが)。
つまり、閲覧者の要求する情報が、常に自分の運営するWebサイトにあるとは限らない。むしろ、無い事のほうが多く、自分以外のサイトでそれがフォローされている事の方が、圧倒的に多い。
これが大前提だ。

故に、サイト管理者は言って良いのだ。

「嫌なら見るな。他所当たれ」

と。
もう一度書くが、管理者と閲覧者ではそもそもの選択肢に違い(一対無限)がありすぎる。
そして、閲覧者の要求する情報を自分が持ちえていない場合、自分以外の他者が保持している事を前提として良い。むしろ、その為の「情報の相互扶助組織」としてのインターネットだ。
故に、閲覧者に自分以外の他にこそ、その求める情報は存在する、と、その事を認められるならば、言っていい。
全てをその言葉で切り捨てる事は推奨しないが、少なくとも、そう言って構わないという事位は、腹の底に置いておくべきではないかと思う。精神衛生上。

さて、閲覧者(特に一見さん)と管理者の間には断絶が常に存在することが示せた。
しかし、管理者と、別のWebサイトの管理者や、公的な性質を持つWebサイトと閲覧者の間には、断絶が「持てない」場合がある。
それは一番最初に述べた「関係」の結果として表れるものであり、それによって、言いたい言葉、上の例で言えば「嫌なら見るな」という言葉が使えなくなる。
自分勝手な目的を達成するはずのWebサイトで、自分勝手ができなくなる。
それは、それが如何なるものであれ、社会を形成する以上、避けては通れない事である。

当方が過度の馴れ合いを避けるのは、それが理由だ。

馴れ合いはある程度ならば、「遠慮無く言える」という方向に働くが、角になったそれは、相手にも自分にも気遣いのようなものを「自動的に」要求する。

それは言葉を縛り、意思を縛る。
それらは代償だ。サイトを持って果たすべき目的の為の必要経費だ。
しかし、そうして払う代償こそが目的である、つまり、自分が不快にならない、自分勝手にやることを目的としている場合、それは支払ってはならない対価である。

さて、サイトを持つ目的とは何だろうか?
その為に支払ってはならない代償とは何だろうか?


追記:面白いエントリを発見したので勝手にリンク。
インターネット上での良識と前提
サーチエンジンの進化が与えたものについての結論が当方と丁度逆なのが興味深い。
結局のところ「嫌なら見るな」と「嫌なら公開するな」はいつまでも平行線なのだろう、という気はするのだが。
まあ当方としては
「文句言ってる暇があるんなら別のお前さんの趣味に合ったサイト探せばええがな」
と思うのだが。
それでもまあ、文句を言いたくなる気分も分からないではない。


以下雑記。

とはいえ、この立ち位置に疲れてきたor丸くなったせいか、別に馴れ合いでも構わんよな、と思い始めている今日この頃。
別に生年月日やらなにやら晒したって、結局は当方の立ち位置の問題であるしな。
こないだちゃぶろのircに顔出してみたのもその辺が原因。
面子を含めてどんなもんか、という好奇心もあったが。
正直、サイトの方針もどうでも良くなってきたしなー。
「普通のblogに戻ります!」とか寝言垂れるのもアリなんだが。
と、書いてると、閉鎖する時は床に置かれたマイクのAAで〆かなあ、とかネタを考えてる自分がいる。
まあそんな感じで。適当。

ああ、そういやこのblog立ち上げた時に心に決めてた「自分語りはしない」を良い感じに破ってるな、このエントリ。
・・・まあいいや。

追記:最後の自分語りの大多数を削ってみた。
眠い頭で手なりで書くとロクな事にならんな。

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Posted by rgy at 06:25