馴れ合いという関係
05/01/30
もう少しだけ馴れ合いについて述べてみよう。
そもそも前二つのエントリで述べた馴れ合いとは管理者と閲覧者の関係を表す一つの形である。
その二社の距離が限りなく小さくなった時、それが馴れ合いである
しかし、一番最初管理者と閲覧者の間には当然ながら距離がある。
ここで、管理者と閲覧者の間の丁度真ん中に線を引こう。
管理者は特定の閲覧者と馴れ合いたい時、その中央の線まで前に出る。
それを見て、閲覧者もその管理者と馴れ合いたい時、その中央の線まで前に出る。
この中央のラインを挟んで管理者と閲覧者が手を繋いだ時、その馴れ合いは双方にとって理想的な馴れ合いであると言える。
しかし、ここに一つの限定条件がある。
馴れ合う場合、その多くは掲示板や、それに類するものによって行われる。
よって馴れ合いとは、その性質上、閲覧者がそのサイトの掲示板に居着かなければ成立できない。
言い換えると、馴れ合いは閲覧者がその関係に同意しなければ成立できない。
そしてそれは、馴れ合いの主導権が閲覧者にある事に他ならない。
先程挙げた例はその為にある。
「管理者は真ん中の線までしか出る事が出来ない。しかし、閲覧者はそれを越えることが可能である」
これが限定条件である。
そして、閲覧者に対して
「寄るな喋るな黙れ馬鹿」
と言える管理者ならばともかく、殆どの管理者は掲示板等に書き込んだ全ての閲覧者に対して、所謂「真っ当な」な対応をせねばならない。
つまり、管理者は閲覧者を、それがどんなものであろうとも無視することが許されない。
故に、閲覧者はそれを逆手に取り、どうでもいい事を管理人に質問するという行為を繰り返す事で、最終的に管理者及び自分以外の閲覧者に、管理者と馴れ合う相手としての自分を強制的に認めさせる事すら可能である(空気を読まないかまって君、もしくは管理人ストーカーの出現)。
これが、最悪な馴れ合いの構図である。
しかし、これが前二つのエントリで挙げた、blogのコメント欄及び管理者同士(双方がblogであるかどうかに関わらず)については、また話が変わってくる。
まずblogの場合、前にも書いたが
「コメント内容はそのエントリ元に関するものであるべき」
という基本概念から、管理者が望まない(馴れ合いたいという空気を漲らせたエントリを書かない)限りは、上記の「最悪の馴れ合い」が最初から排除できる(閲覧者も真ん中の線までしか出る事が出来ない)。
同様に、管理者同士の馴れ合いについても、どれだけ片方が馴れ合おうとしても、もう一方がそれを取り上げなければ馴れ合いは成立できない。
つまり、この二者については、常に理想的な馴れ合いのみが成立できるという状況にあると言える。
blog普及の一端を担ったのは、こういった
「誰かと距離を取るのも取らないのも自分で選択できる」
という事ではないかと思う次第。
お客様は神様ではあるのだけれど、金取って無い以上、ある程度相手を選べる構造を取っておきたいというのは人情であろうな。
この項とりあえず終わり。
馴れ合い関係としてはもう一回続く予定。
中身は、ここまでは馴れ合いそれ自体と、それを生み出す構造あたりについて述べてきたが、最後に馴れ合いの陽の面の効果、効能について。
以上。
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Posted by rgy at 22:28