コメント欄という混沌
05/04/28
他人の言葉にケチをつけるのは簡単である.
必要なものは
・物事を中途半端に都合良く一般化する技能
・憶測する技能
の三つである.
ここしばらく
らくだのひとりごとさんとのこの
席を譲らなかった若者というエントリがさまざまなところで取り上げられている.
そちらのエントリとコメント欄を用いて,具体的に述べていこうと思う.
まず主たる事柄は
・席を譲らないことに対して嫌みを言うハイキング帰りの老人
・席を譲らず正論でこれに応えるこれから仕事に行く若者
・らくださんはこれに対して若者に対しておおむね肯定的な立場からエントリを書いている
という三点である.これ以外はどれも重要ではない.
ではこれを実際に若者が悪い結論が導けるよう,中途半端に都合良く一般化してみよう.
・老人
・席を譲らない若者
以上.
こうなってしまえば簡単だ.
一般論からこれを否定すればいい.
「老人は尊重されるべきだ」
実際コメント欄にはそのような意見が散見される.
当然であるが,この意見は正しいのか,と問われたならばそれは確実に否である.
このエントリで述べられているのはあくまでも
・席を譲らないことに対して嫌みを言うハイキング帰りの老人
・席を譲らず正論でこれに応えるこれから仕事に行く若者
・老人の年金を支えているのは若者だが,若者が老人になった頃には年金などもらえそうにないという現状
という「限定状況下において」老人と若者のどちらが正しいのかであって,一般論には微塵も意味はない.
それは例えば「金を投げてはいけない」という一般論を「神社で賽銭を投げる」という行為に適用して論争しようとするようなものである.
そしてこのような手合いに反論しても必ず論争は平行線である.
「状況を限定して考えている者」と「一般化して考えている者」という平行な状態から互いの言葉が出る以上,その二者の論争はどこまで行ってもかみ合わない.どちらも互いを納得させられない.故に非を認めることなどあり得ない.
故に,中途半端に都合良く一般化しさえすれば,人をけなすことができる.
何しろこちらが一般論である以上,そこだけを抜き出せば間違ってはいないのだから.
これが無能のパターン「一般論は常に正しい」である.
次に「憶測する場合」を考えよう.
これはつまり「思いこみ」である.
コメント欄に見られる意見として
「若者はどうしても座りたいに違いない」
という前提に立った意見がある.
しかし文章中,そんな言葉は一言一句たりとも出てきてはいない..
単に若者は
「この老人には譲らない」
という意見を表明しているのであって
「自分が座っていたい」
とは一言も言っていない.それはあくまで結果である.
「金を貸してくれ」と頼まれて,それを拒絶したからと言って「彼には金がない」という結論が導かれはしないように,論理的な手続きが飛ばされているのだ,これは.
この事から分かるように,書かれてもいないことを勝手に憶測すれば容易に他者をけなすことができる.
そしてこれで済めばいいのだが,更にこれにどうでもいい技能を持つ馬鹿が紛れ込むとコメント欄においてクソにも劣る論争が展開される.
それは「論点をズラす技能」である.
これは一般化する技能に似ているが,言ってしまえば「ごく稀な反例を思いつく能力」である.
具体的には
「老人は尊重されるべきだ」
という言葉に対して
「じゃあ親の遺産で食いつなぎ,何一つとして生み出さずに生きてきた老人も尊重されるべきなのか?」
やら
「ただ生きてただけで尊重されるのなら,途中で自分に過失のない事故で死んだ人間はどんなことがあろうと尊重されないのか?」
という筋違いな台詞を吐く馬鹿である.
一般化する技能が限定状況を無視する技能としたならば,こちらは限定されすぎた状況を設定する技能である.
そしてここに分かった風な口をきく,何の論拠も説得力も無い糞餓鬼の尊大な物言いを足し,キチンと説明する意志を引いたものが無能と馬鹿の双方に混ざり合った時,無能と馬鹿と傲慢が化学反応を起こし,凄まじくどうでもいい,しかも元のエントリと全く関係のない論争が無能と馬鹿の面子の問題から発生する.そしてそれらはスパイラルを起こし,どんどん不毛な論争に雪崩れ込んでいく.
最終的にはどちらかが飽きるか,それとも管理者が一生懸命どうにかすることで,管理者の胃の痛み以外の何も生み出さないままに論争は収束する.
全く以て意味がない.
説明の意志の欠如は誤解と負の感情を蔓延させ,馬鹿と無能は前提を理解できず延々と平行線で言い合うのみ.
そして本人たちは所詮書き捨てるだけで後に何が残ろうが知ったことではない.
クソのような状況だ.
まあ,故に
「説明する気もできもしない,感情でしかモノを語れない無能は邪魔だから喋るな」
というだけの話なのだが.
否定するなら相手の首をねじ切るぐらいの勢いで論理を構築して貰いたいと思うわけだ.
ま,そんだけ.
それがどんなものであれ,何かを書けばそれは評価の対象になるんよな.
コメント欄であっても,「ああ,この名無しは名前だけじゃなく脳もないな」といった評価は当然下されるものだと言うことは,頭に入れておいて貰いたいわけだ.
いつからコメント欄は閲覧者の感情の吐き捨て場になったんだ,ということで.
以上,リハビリこれまで.
余談.
手軽な情報発信機構,および情報交換機構としてのblogの有用性は認めるが,それに付随するコメント欄は,有用な情報交換や議論には全く向かないと言わざるを得ない.
第一に,所詮コメントであり,「文章」を書くには制限が厳しいからであり,第二に日本語の読解力すら無い馬鹿に無制限の発言権を与えるものであるからだ.
書き捨てを許すというblogのコメントの構造と,全ての9割がクソであるという事が事実であるならば,コメント欄の大半は愚にもつかないゴミで埋まる.
結局のところ,Webサイト管理者という「縛り」を入れなければそうそう論争ではない議論なんぞできないんだろうなあ,と思う.
それから今回らくださんとこを用いて説明したが,単にたまたま例として使い易いコメントがたくさんあったから使っただけで,それ以上でもそれ以下でもない.こんなものはごろごろしてるしな.
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( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
Posted by 名無しさん at 00:45