歌う脳髄

どうでもいい事について考える凡百blog

タイトルコミュニケーション特化ツールとしてのSNS

05/04/30
前エントリで

「多くの有用な知識を出力する人間には,その出力した情報と同じく価値があるのではないか」

という思考がコミュニケーションの開始点であると述べた.
これに対して疑問を挟む予知は無い.
全ての情報を等しく扱うのが情報場としてのインターネットならば,出力した各々の情報の価値をベースに,全ての個人を重み付けするのがコミュニケーション場としてのインターネットである.

そしてこのコミュニケーション場としてのインターネットに特化したのがSNS,ソーシャルネットワーキングシステムである.

SNSの特徴は

・閉鎖性

という一点に集約される.

ちなみに現状当方はmixiのみ所属しているので,以下の文章はmixiについてのみの話であることを先に述べておく.

SNSはシステムとしては最低である.
人名やニックネーム以外の検索が出来ないため有用な情報は探せない.
だから日記を書くのも身内相手,全ての相手に公開していても早々見ず知らずの他人が来るはずもない.
コミュニティは増えすぎて検索することすら難しい.

だが,それでいい.

コミュニケーション場として特化するならば,有用な情報などあってはならない.
日記はコミュニケーションのとっかかりでありさえすればいい.
コミュニティも他人も,無闇にやたらと所属したところで意味はない.
自分が把握できる数だけいればいい.その中で濃いコミュニケーションをすればそれで十分だ.

最近,mixi内にgooの検索エンジンが導入された(gooの中身は以前はgoogleだったが今はどうなんだろうか?).
馬鹿か,と思う.
閉鎖性には,外部検索エンジンからの検索を拒絶する,という意味も含まれている.
つまり,外部からは重要な情報があったところで参照できない.ならばその重要な情報とはごく一部のmixiユーザの為にある.

だが,ここに重大な勘違いがある.

検索エンジンで人間が情報を検索するとき,欲しいのは情報であって,人間ではない.
googleで検索をしたときに,複数のページを開いて欲しい情報を探したことがあるだろう.
その中に,個人が運営するWebサイトはどれだけあっただろうか?そしてそこからどこかのサイトをブックマークに入れたことはあるだろうか?

情報>人間

という優先順位がある検索という過程では,どうしても人間は重視されない.
あるブックマークに登録するとき,そこへは大抵別のサイトからのリンクを経由しているものだ.
故に検索に意味がない.

mixiがこのまま突き進めば,おそらく古き良きインターネットの時代に,現在の慣習を導入した,ひどく歪なものにしかならないように思う.
既に出会い系としてしか見ていない者も現れているようであるし.


このように,情報集約場としての機能を削減して現れるのがSNSであり,コミュニケーション場としてのインターネットである.
これらは非常に現実社会に近い立ち位置であるが,同時に距離も時間も無視できるが,非対面であるが故に相手に対して完全な信頼が置きづらいのも事実である.
コミュニケーション場としてのインターネットがその非対面を否定する方向に進むのか,それとも非対面を肯定する方向に進むのか,どちらにせよ,未だコミュニケーション場としてのインターネットは途上にあろう.

追記
そういえば/.Jあたりで「SNSの退会率の低さに注目すべき」とかそんな文章を見かけたが,そりゃ単にわざわざ退会すんのが面倒だから放置してるだけではなかろうかと.
どっちかっつうと重要なのはアクティブ率.

Track Back URL: http://s03.2log.net/editor/tb.php?id=singbrain:blog:180
Track Back

トップに戻る

コメントを書く  コメントを見る

( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
Posted by rgy at 11:31