インターネット上における「信頼」
06/05/20
前エントリ(
実名の公開は信頼を保障するか)では,無名な人々(前エントリと同様に,これを無名人と呼ぶ)が住所,氏名,電話番号といったものを公開しても,それを証明するには閲覧者に多大なコストを要求するため実質的には何ら意味を持たず,しかもそれが証明されたところで得られるのは住所,氏名,電話番号が示す人間と,それを公開している人間が同一であるということでしかない,と述べた.
本エントリでは,前エントリが正しいとするならば,なぜ無名人は住所,氏名,電話番号といったものの公開が信頼に繋がると考えたのか,という点について述べたいと思う.
これらのことについて述べる上で,念頭においておかなくてはならないのは「信頼」という言葉の意味である.
前エントリで述べたように,住所,氏名といったものによって得られるのが「存在の証明」であるとして,彼らの欲する「このサイトの管理者は(少なくとも自分にとっては)価値のある情報を出力してくれる」という種類の信頼,言いかえるならば「能力の信頼」は得られない(また以下の文章では「能力の信頼」という言葉を上記のように定義する).
そしてこの「実在の信頼」と「能力の信頼」という2つは全く別のものである.
それは例えば,タウンページで調べた住所に本屋が存在することと,その本屋の品揃え(本屋としての評価)とは無関係であるのと同じことである.
ならばなぜ,この二つが混同されるのか?
この点について考えるとき,キーとなるのはいわゆる「大手サイト」の存在である.
「大手サイト」の定義とは「多くの人間を集められるサイト」である.
大手サイトに集まる多くの人間は,その大手サイトの管理者が出力する情報に価値を見出したために,集まっている.
この観点において,大手サイトは上で述べた「能力の信頼」を得ていると言える.
そして,大手サイトの一部には,自分の所属する組織やそこでの地位(肩書き),氏名等を公開しているところがある.
存在の証明と能力の信頼とが混同される原因は,この一部の大手サイトの存在にある.
住所,氏名,電話番号を公開すれば「信頼」が得られると考えている無名人たちは
1.大手サイトの管理者は信頼されている
2.彼らの多くはその所属を明らかにしている
3.ゆえにバックグラウンドを明らかにするれば信頼を得ることが出来る
という論理展開を行い,しかし彼らにはさらせるだけの肩書きが存在しないために,仕方なく住所や電話番号を晒していると考えられる.
しかし,所属を明らかにしていない大手サイトが,それこそ山ほどあることからも明らかなように,「所属を明らかにすること」と「大手サイトであること」には何の関係も無い.
そして,バックグラウンドを公開しているのは,あくまでも大手サイトの「一部」である.
「一部」にしか適用されないバックグラウンドの公開という条件を,全ての大手サイトに共通する「信頼される」という事象に適用しようとする行為は,明らかに論理的に破綻している.ゆえに,サイトのバックグラウンドの公開と,そのサイト管理者に対する信頼との間には,何の関係も無いと言える.
しかし,このような論理の破綻に気づかないがゆえに,存在の証明と能力の信頼の混同がおきていると考えられる
さらに突き詰めて考えていこう.
では,なぜ,一部の大手サイトはそのバックグラウンドを公開しているのだろうか.
それは「信頼の獲得」とは全く違う次元のメリットがあるからに他ならない.
そのメリットとは,例えば執筆や単純な売名など,管理者の(突き詰めれば金銭的な)利益に関わるものである.
この例としては,ライブドアの堀江前社長や,楽天の三木谷社長のブログに代表される,いわゆる社長ブログが最も分かりやすい.
あらかじめブログを開設し,知名度を上げれば,あるサービスを公開したとき,または公開を考えているときにスポンサーや提携先が現れる可能性がある(低いがゼロではない)し,それ以上に,消費者と直接に触れ合うことでブランドとしての知名度を上げておくことや,ある程度消費者からの要望を吸い上げることもできる(おそらくこれは市場調査を行うだけの余力の無い新興企業にとって,コストがほとんどかからない,という意味で非常に有効であると考えられる.また社長という顔の見える個人であるために,組織が運営するものに比べて心理的障壁が低く,コメントを書き込みやすいという点もあると考えられる).
それ以外の例としては,フリーライター等の文筆業や学術系に携わる人間であれば,ある分野のことについて質の高い文章を書き続けることで書籍や雑誌コラム等の執筆依頼が来る可能性がある(これは実名を公開していなくても起きえるが,実名を公開している場合はコンタクトを取る過程の一部ショートカット可能である).
また単純に人脈の形成(何がしかの会合で実際に会った時に,「ブログ見てますよ」という会話を取っ掛かりにして親交を深める場合がある)にも用いられる.
つまり,一部の大手サイトにとってのバックグラウンドの公開とは,決して「能力の信頼を得る」ためのものではなく,「利益を得る」ために行われるものである.
そして,利益を求めてのバックグラウンドの公開においては有名無名は関係ない.
このようにバックグラウンドを公開している人々の何パーセントかが有名人,大手サイトと「なった」という結果が存在するだけである.
ならば「能力の信頼」を獲得するためには,つまりは大手サイトになるにはどうすればいいのか.
最初に述べたように,大手サイトが大手サイトである理由は単純だ.
彼らは,少なくともサイト管理者として有能であり,だから多くの人間が彼らは出力する情報に価値があると認め,彼らは大手サイトとなり得たに過ぎない.
すなわち,大手サイトとそうでないサイトを分けるものは,情報の出力装置としての管理者の能力(性能)である.
「多くの人間にとって価値があると認められる情報を,安定して,しかも頻繁に提供できるのか否か」
確かに実名を公開することは,読み手にある種の安心感を与える.この点については否定しない.しかし,同時に実名は安心感以外の何も与えない.
実名を公開していようが,電話番号や住所を公開していようが,そのことと有能無能との間には関係がない.閲覧者の安心感は管理者の能力の底上げなどしてくれはしない.
真に「能力の信頼」を得たいのならば,質の高い情報を出力し,積み上げ,また同時に管理者がサイト管理者としての能力を高めていくほか無いと考える.
結論.
管理者の背景は,サイトへの信頼には何ら寄与しない.
管理者への信頼を形成するのは,管理者の能力だけである
少なくとも,インターネット上においては.
以上.
以下,余談.
とてもとても普通の結論ですね.
長々と余談書くのはアレなんで,これから先こっちのエントリの余談は
分家に投げる予定.
そんだけ.
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( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
Posted by rgy at 04:57