04/08/23 23:25
澄良木修司さんからエントリを頂いたので、今度はそれについての自分の考察をば。
たしかに同一性の保持という考え方では、澄良木さんの仰るとおりです。しかし実は、それとはべつの問題で、掲示板とブログで格差がうまれてきてしまうところがあります。早い話、2ちゃんねるのような匿名性のつよい掲示板群においては、固定ハンドルは忌み避けられてしまう傾向があるのです(*一部の板を除く)。すなわち「コテうざい」というやつです。固定ハンドルが、自分の意見を何レスにもわたって書くことは、あまり好ましくない行為という不文律があります。また、長文ウザいという場合もあります。僕もあまりに長い書き込みは飛ばしてしまうこともありますし。
長文やコテを避ける理由は、僕はなんなのかまだよく分かっていないです。大多数の人間は長い文章をいやがる傾向にあるんでしょうか?(それだったら、どちらかというと僕は少数派になりますです。)持論というものは、基本的に1個人のもので、しかも比較的に長文になりやすいから、たとえ同一性保持ができたとしても、議論がブログで向きやすく掲示板で向きにくいというところはあまり変わらないんじゃないかと思うところです。
名前がなきゃ信用できないと思っている奴の方が遙かにバカだね。
権威とか名声に左右される俗物。
これは澄良木修司さんのブログに引用されている2ちゃんの書き込みを、もう一度引用したものです。この言葉には2ちゃんねるの、ただ書き込みの内容のみを重視するという性格性がよく現れていると思われます。ヒマツブシさんも仰っていた、「情報や言論を鵜呑みにせず、まず疑うところからはじめる」という考え方がいきつくポイントでもあります。ある意味では真理です。
ただ、その真理を含む反面、名前が信用されないことから結びつく危険性もあります。当たりまえのことながら、相手に対する(ある程度の)信用がなければ、コミュニケーションは断絶されたままになってしまうでしょうし、盲目的に名前に不審をいだくことになってしまっても駄目だと思います。
それともう一点、ひとつひとつの情報を取捨選択するのは現実的に難しいと思います。
理由はふたつあります。
・ 情報が正確か否か確認するには時間と労力がかかる。
・ 情報が矛盾していないか論理的に追求する方法は、情報を提供した人が事実を正確に把握していない場合には有効ではない。
(場合によっては、事実であるものを虚偽と判断してしまう場合がある)
もし名前をまったく信用しないとなれば、あとは膨大な書き込みのなかからいちいち正しい/間違いの選りわけをしていくほかにありません。もちろんそれでも悪くはないのですが、時間がかかりすぎるし、あまり現実的な方法ではないでしょう。それよりも、疑いつつも信用に足る名前をみつけるほうがよっぽど早い。
こうしたことを避けるには、発言者が同一性を持ち、周囲がそれを継続的に評価していくことが必要だと思います。
掲示板・ブログ関係なく。
「名前がなきゃ信用できない」のではなく「この名前は信用できる/信用してもいい」というものを探していくことが、より適切ではないかと思うところです。
引用元:
http://s03.2log.net/home/sumeragi/archives/blog12.html インターネット上の議論の継続性・発言者の同一性(バーチャル教祖 澄良木修司)
Posted by bone◆.BK/udqGpI
comments
trackback list
post a comment
trackback url
http://s03.2log.net/editor/tb.php?id=soundtrack:blog:21