04/09/14 18:57
宅間守容疑者の死刑が、2004年9月14日に執行されたそうです。
事件が起こったのは三年前の6月8日。死刑判決は昨年の8月28日。
報道コメントにあるように、刑が確定してから一年も経っていない、
極めて異例のはやさとも呼べるものでした。
いったいこの事件はなんだったんだろう。
幸か不幸か、当事者ではなかったけど、
リアルタイムで事件に遭遇していた同時代の人間として、
いろいろ考えさせられることがありました。
大阪教育大付属池田小学校で8人が殺害されるなどした校内児童殺傷事件で、
宅間守死刑囚(40)に対する異例の刑の早期執行を受け、接見を続けてきた臨床心理士の長谷川博一・東海女子大教授(45)が14日、
大阪市内で会見し、宅間死刑囚が「自分が生まれてこなければこんなことは起きなかった」などと打ち明けていたことを公表した。
(共同通信) - 9月14日18時32分更新
この発言で思い出すのは、村上春樹が翻訳したマイケル・ギルモアの小説『心臓を貫かれて』です。
僕自身はまだこの作品を読んでいないのですが、ネット上のレヴューから、
ある程度内容がどんなものであったのかは分かります。
村上春樹は自らのエッセイで、この作品についてこう語っています。
それからベレンゴ中尉事件とほぼ同じ時期に、アメリカのユタ州では、ゲイリー・ギルモアという強盗殺人犯が自ら銃殺刑を求めて、世界的な話題を呼んでいた。
(中略)
その刑死から約二十年を経て、彼の弟であるマイケル・ギルモアが、これまでじっと胸に抱え込んでいたすべての事実を、本のかたちで明らかにした。ゲイリー・ギルモアはなぜ二人の罪のない人間を、些細な金のために殺すことになったのか?
村上春樹堂はいかにして鍛えられたか/村上春樹
ゲイリー・ギルモアと宅間守を同一のものと考えるのは強引ですが、
「(死刑によって)殺されるために(人を無意味に無差別に)殺した」という点では、
そっくり似通っています。
なぜ彼らは自死を選ばず、死刑になるための殺人を選んだのか?
持てる心の闇をすべて吐き出してみたかったのか?
罰せられて死にたかったのか?
事件について「犯行途中で『もう十分や。誰か止めてくれ』と思ったが、勢いがついて自分では止められなかった」などと振り返ったという。
(共同通信) - 9月14日18時32分更新
あるいは、自身が創った物語に、自らが飲み込まれてしまったのか?
僕は、どれもあるけど、最終的な決定要因になったのは、一番最後の「物語」だったと思います。
物語を演じて突き進んでいく自分を、止められなかったのだろうと。
小学校に分け入ったときには、自分の意識すらもシャットダウンしてしまって、
完全に、大量殺人を犯す犯罪者に演じきってしまった。おそろしいことです。
宅間守には、99の憤りを感じるとともに、1の哀れみを抱きます。
だけど、それとは関係なく、殺された子供たちは本当に無念だったでしょう。
せめてあの世では、来世では幸せに生きてくれることを祈って止みません。
そして僕自身も、もしかしたら持っていて、いつか発動するかもしれない心の闇を、
冷静に注意深く監視して生きていくより他はないだろうと思います。
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★追記
誤解されるような表現をしてしまったかもなので、付け足します。
別に僕が宅間守と同じような犯罪を犯すわけではないし、
彼ほどの「心の闇」があるわけでもないのです。
でも、その犯罪性は、どこか遠い国のお話みたいな、自分とかけ離れたものではない。
もしかしたら、僕も彼と同じ道を歩んでしまっていたかもしれないという、
そういう恐怖みたいなものが、ただあるという感じです。
彼ほどの凶悪性はないけど、
それよりも小さなかたちでなら、発散するかもしれない。
それには注意していかなくちゃな、と思います。
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(・∀・)イイ@Onlineさんのところから。
ハゲからマゲへ・・・(;´Д`)
Posted by bone◆.BK/udqGpI
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