04/09/19 15:11
ひさしぶりにリルくんのblogが更新されていたので読んだ。
ひとつ確実なことは、リルくんはまた性格が悪くなったということだ。
RIR6はこう語った−言葉と責任編
(1)(2)を読んだのだが
コメントスレッドに書かれたことへの60以上の意見のなかで
ちょっとでも同意したコメントがあるのは2〜3個ぐらいで、
あとはほぼ脊髄反射的な否定意見だ。
読んでいて、この人は、ただ単に突っぱねたいだけなんじゃないかと思った。
意見を議論しようというのではなく、
議論という大義名分をもちいた上で、
あらかじめ全てを否定してやるという意志のもとに、この文章を書いたのだと思った。
それは言論のやることではない。
ことばは難しい。
コミュニケーションの範囲を超えると、それは攻撃性を帯びるようになる。
早い話が暴力になってしまう。
現実の場で人間を殴ることと、ほとんど変わりがなくなってしまう。
たしかに言葉で人を殴ることは、暴力を振るうという点で都合がいい。
肉体的なダメージを与えることはないし、逆に殴り返されることもない。
実際に傷つけるわけじゃないから、相手に恨まれることも少ない。
また、キレた相手が突撃してきたら、それを嘲って馬鹿にすればいいのだ。
言論は先天的な体力によって優劣がつくのではなく
理論武装すればするほど、優位な位置に立つことができる。
そして実際、強者が弱者をボコボコにすることができる。
優位性を示して勝ち誇るのはべつに構わないのだが、
言論の世界に暴力を持ち込まれると、こっちとしてはかなり困る。
暴力には、相手を征服しようという性質しかない。
暴力にできなくて、言論にできるのは、対話や協調と呼べるものであって
言論の役目はもともとそういうところにあると思っている。
言論が暴力になってしまったら、あとはパワーゲームでしかなくなるからだ。
相手がムカつくことを言ったら、殴っちゃえばいいという話になるし、
それが紛争や戦争にいっちゃうこともある。
僕は暴力は嫌いだけど、現実の場で言論による暴力を食らったら
おもわずポーンと顔面パンチを炸裂させてしまうかもしれない。
それは果てしなく嫌だ。
いまのところは、それでいいのかもしれない。ネットでなにかいう限りは、とやかく言う害はない。
ただ、言論を単なる武器に使うのはやめてほしい。
相手を攻撃することを一概に否定するわけじゃないけど
自分の優位性をただ示すことに使用するのは、やめてほしい。
戦争に行って本当に人を殺すよりも、はるかにいやらしくて悪質だ。
というわけで、リルくんの論が
・読みにくい
・相手に伝えようとしていない
・尖っているように感じる
・なんかちょっとアレ
という風に感じたら、それはリルくんが言論を暴力的に用いていることに起因すると思った。
Posted by bone
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