12年
12年の間、入院していた祖母が24日の夜に亡くなった。87歳だった。入院当初はよく顔を見にいったものだが、12年という時間は長いもので、最近では親戚ですら数ヶ月に一度行くのが精々だった。親戚の中で一番顔を出していたのは俺だったと思う。それは病院への支払いという理由があったからに過ぎないのだが、週に1度、仕事の合間に病院に通っていた。ただ病院に行ったところで、いつもはカウンターで支払いを済ませるだけで、祖母の病室に行き、顔を見るのは月に1度程度だった。
動かず、何も言わず、寝ているのか起きているのかすらも定かでない人間というのは正直見ていてツライ。意識を回復させるために何度も言葉をかけるということに医学的な根拠があるのかどうかは知らないが、もし親しい人間が同じ状況になったら誰でも同じようにするのではないか。返事が無くても聞こえている可能性があると信じてそうするのではないか。だが、返事が無い期間が10年以上ともなると話は別だ。正直、顔を見るのもツラくなってくる。その人が元気だった頃を知っている分悲しくなってくるのかもしれない。祖母にはそんな空白(というのはあくまで周りから見た話だが)の12年があったのだ。自分で言うのもアレだが、なんとも残酷な話だ。
医者や病院関係者に意見、文句を言うつもりは全くないのだが、むしろその医学に感謝しなければならないのが一般論なのだろうが、ただ結果として時間が祖母の存在、死の悲しみを希薄なものにしてしまった。なんともいえない。そんな事を葬儀の間ずっと考えていた。通夜、告別式と忙しく、あまり考える時間などなかったのだが、それでもその12年間の事をなんとなく考えていた。12年前、社会人成り立ての22歳の俺は設計事務所で図面引いてたんだよな。
ただ祖母には、長い間お疲れ様でした、あの世でじいちゃんとよろしくやっとけ、とだけ言ってやりたい。
入院の支払いには介護保険が適用される。この支払い、12年にもなると莫大な金額になる。ぶっちゃけ億に手が届く単位の額が税金により支払われる。個人負担も相当な額になる。はっきりいって介護保険はすぐにでも破綻してもおかしくない。10年先にはなくなってるというのは大袈裟な話じゃなくて、5年先ですら怪しいものだと思う。問題なのは保険だけではなくてこういった介護医療の現場にしても、今後問題は山積みなんだろう。ものすごく難しい問題だとは思うが。
通夜、告別式と実家(会社があるとこな)で行った。個人的には葬祭場みたいなところでやるべきだと思っていたのだが、喪主の希望でそうなってしまった。本来こういうことは故人の希望で、というのが正しいところだろうけど、故人がどう言ったところで800人からの参列者を自宅でさばくのは本来有り得ない。正直段取りの時点で疲れ果てた。実家でやる以上、葬儀屋に任せることができない部分が多く、手伝いの方々にも来て頂いたのだが(いつもやってる付き合いの関係等色々)気遣いと指示、それにパシリ役、当日は物凄い混乱した上、時間もないので切れるわけにもいかず、ただただ消耗した。ちなみに奥様は通夜の段階でインフルエンザでダウン。告別式には実家のお母さんに奥様の看病来て頂いたりもした。
死んだ人の最後の評価が葬式だ、みたいな話もあるがアレは嘘だ。葬式なんてただの儀式に過ぎなくて、でかけりゃいい、形式に則ってやるべきだなどというのは、商売人か葬儀屋が言っていれば十分だ。騙されてはいけない。
ここまで書いたところでこの先絶対まとまらないと悟ったのでここで終了。
どうみても尻切れです。本当にありがとうございました。
Posted by ちむたそ