フォーミュラワン2006
今から少し前の話になるが、
中嶋一貴が名門「
ウィリアムズ」チームに来シーズンからテストドライバーとして加入することになった。
リザーブドライバーではないので、グランプリに帯同することは日本グランプリくらいしかないだろうが
父である
中嶋悟が公式には乗れなかったチームとテストドライバーとはいえ正式な契約を結んだわけだ。
余談だが父が現役の時はホンダのバックアップがあったが、息子はトヨタの支援による。
現在「ウィリアムズ」には、「
ニコ-ロズベルグ」というチームメイトがいる。
彼も一貴と同じく二世ドライバーだ。父の名は「
ケケ-ロズベルグ」、1982年の総合チャンピオンである。
さて、この1982年はウィリアムスルノーのアイルトン‐セナらが亡くなった1994年と同じく、F1の歴史の中で悲劇の年となった。
「
フェラーリ」の「
ジル-ビルニューブ」が予選中の事故で亡くなったのだ。
マクラーレンよりデビューし、その後はフェラーリで走り続けたF1界の中でも歴史に残るヒーローであった。
ワールドチャンピオンになる事もなければ、何十勝も挙げたわけでもない。
しかしその走りはモータースポーツファンの記憶にいつまでも刻まれているのだろう。
彼の息子は「
ジャック-ビルニューブ」。
「ウィリアムズ
ルノー」で近代F1では史上最速となる参戦2年目の1997年に父の果たせなかった夢、ワールドチャンピオンを獲得した。99年から「
BAR」という新チームを自身のために作り移籍したが、「BAR」はこれから10年以上前に中嶋悟が乗っていた「ティレル」を買収して作られたチームであった。
「ビルニューブ」が抜けた「ウィリアムズ」は同時にルノーエンジン(※ワークスエンジン)を失い、同じ「ルノー」のカスタマーエンジンを挟みBMWエンジンを獲得し、今年から「
ザウバー」を買収してBMWのワークスチームとして単独参戦を果たした。
「BAR」は00年よりホンダエンジンを搭載し「ビルニューブ」による初表彰台も獲得したが、次第にチームは「
ホンダ」によって支配され、「ビルニューブ」は「BAR」における佐藤拓磨のシートを確保する形でチームを追われた。
そして今年、「BMW」でのレースを最後に「ビルニューブ」はF1から引退し、「ロズベルグ」と「中嶋」の二世ドライバーが「ウィリアムズ」でデビューを飾る。
奇しくも、「ロズベルグ」は「ビルニューブ」以来となるデビュー戦でのファステストラップを記録した。(ビルニューブはデビュー戦でポールポジション&ラップリーダー&二位表彰台も獲得)
初ポールポジション獲得まで初ファステストラップ獲得まで初表彰台獲得まで初優勝までちなみに「ビルニューブ」から「BMW」のシートを奪った「ロバート-クビサ」は、「1997年にビルニューブが最後に優勝したレースを観戦してF1を目指した」と語った。
この1982年から続く、二世ドライバーの歴史の中に、「ウィリアムズ」というチームは中心にあったのだ。
「ミハエル-シューマッハ」の引退ばかり注目された今年、戦闘力のあるマシンで絶対的なエース待遇を受けていた皇帝の裏で、戦闘力のないマシンで走り続けた1997年のワールドチャンピオンの引退を知るものは少ないかもしれない。
しかし1997年のヘレスサーキット(スペイン)で起こった事件を忘れないで欲しい。1994年のアデレート(オーストラリア)や今年のモナコで起こった事件も含め、決してミハエルシューマッハは偉大なる皇帝とは言えないはずだから。
参考ちなみに1997年、当時のザウバーチームはフェラーリエンジンを搭載していた。
チャンピオンのかかったレース、フェラーリはザウバーに対して以下のような要求をしたという。
「周回遅れになってもビルニューブをブロックしろ」
そのザウバーチームのドライバーの一人、「ノルベルト-フォンタナ」が今年になって告白したのだ。
もちろん今となっては事実確認なんて不可能だが、動画を見る限り明らかにブロックしている。
参考動画赤が「フェラーリ」の「ミハエル-シューマッハ」
青が「ウィリアムズ」の「ジャック-ビルニューブ」
※F1において、周回遅れになった場合は速やかに上位の車に道を譲らなければならないというルールがある。
Posted by 豚(´・∀・`)足◆lDRxxXXXXw