雑談 3/9 クローズアップ現代「ブンガクに異変アリ!?」 ネットと文学
05/03/10-03:15
先日ですがクローズアップ現代をみました。
「ブンガクに異変あり!?」という若者の作者を題材にした話で、その日の内容を全く知らなかったのですが面白そうだったので見ました。
そのとき出演されていた高橋 源一郎さんという方がちょっと感じていたもやもやをうまく言い表してくれていたので自分の考えを混ぜて書いてみたいと思います。
(途中で眠くなったので結論付けが弱いです。読み返すと最初と最後でいいたいこと違うし。でも推敲するのメンドクセ)
インターネット・パソコンの普及による作文の易化 今やパソコンとネットに接続できる環境さえあれば、数分で自分の意見を書き込める場所を見つけることが出来る。それらは細かくカテゴライズされていて、自分と同じ意見の人、ある話題について議論したい人などが集まっているため、相手からの反応が得やすい。またこのブログのように自分の思った意見を簡単にネットにアップすることが出来る。前にここの雑談で「ブログはチラシの裏にすぎない」と書き、その意見は今も同じだ。しかし今までチラシの裏に書いていたものはせいぜい家族に見られるくらいだったが、ネットにつながっていることにより何千、何万の人が見ることの出来るチラシの裏になっている。ではその内容は変わったのかというと私はそうは思わない。結局、書かれていることはただ自分の思ったことを書き連ねているだけで(これまさしくそうだが)何の意味も持たない。ひとつ大きく異なるのが読者の反応が得られやすいということだ。
つまり今までのチラシの裏と大きく異なるのが読者がいることによって文章が推敲され、また書き手自身の考えもまとめられるということだ。こういったことを繰り返すことによって、読み手、書き手双方の文章力が向上し、ものを書くことに対する抵抗というものがなくなってきたのではないかと思う。高橋さんの言っていた「昔は一人の書き手に一万人の読み手だったが、今は十万人の書き手に十万人の読み手がいる」という言葉がうまく表している。
世代の変化 私たちの十代はいわゆる失われた十年のなかにあった。番組の中で、「いつの時代にも閉塞感はあったがぶつかれる壁があった。今の時代は明確な壁がない」という話をしていた。何でも時代のせいにするのはよくないと思うが、なんとなくもやもやしている気がする。まわりには物や情報に溢れ、手に入れようと思えばたいていのものは手に入る。でも何かが足りない気がする。何かといわれると困るが何かが足りない。(おいらは夢と希望と彼女分が足りないが)
新しい昇華の形 そんな中で彼ら若い作家は書くということを新しい昇華の形として選んだのではないだろうか?彼らの小説に一人称のものが多いのも納得がいく。番組の中でもあったが、漫画が影響を与えていて、漫画のように多くがハッピーエンドで終わるような話を書いてそれに自身を重ねているような気がする。今までも文学に昇華の先を求める人が多かったが、ネットの普及によってそれらが人の目に触れる機会が増え、多くのものが世間に出回るようになったんだろう。
つまりネットが普及したことで、文章を書く機会が増え「書く」ということへの抵抗が薄れ、また書かれたものがより多くの読み手に触れることが出来るようになったことが、今日の若者作家ブームにつながったのではないかと思う。
…
んで結局何が言いたいかというと、もやもやしていたものがテレビをみてすっきりしてしまって、
コレを見る数日前から小説でもかこうかなぁと思って考えてた案があるんだが、書く気が萎えた('A`)
「胡蝶(仮)」ていってね、主人公が現実と夢とを行ったり来たりしてね、だんだん二つが重なってきてね…って話だけど、
書く気が萎えたので実際に書くかはわからない…
気が向いたら
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Posted by ぜんかー◆tYWlAMyX.w